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三市市長討論会

8月31日(金)

 多くの子供達にとって夏休み最後の日。宿題の最終の仕上げに追われる学生のごとく、大きな行事に立て続けに出席し、ばたばたとした一日となりました。先に記した知事とのトップ会談の後は、市内の大手企業の支店長さんらの代表に集まっていただいた企業代表者懇談会の会合で、新しい総合計画の基本構想(素案)を説明し、議論しました。そして、仕上げは、この三市市長討論会です。


 夕刻18時より、サンポートホール高松において、NPO法人から発展してできたばかりの(株)四国市民政策機構主催の三市市長討論会が開催され,さぬき市の大山市長,三豊市の横山市長とともに出席し、鼎談を行ってきました。

 平成の大合併が一段落し、本格的な地方分権時代を前にして、地方自治体、特に基礎的自治体である市町の首長にはこれまで以上に強いリーダーシップが求められており、主体的な地域づくりの先頭に立っていく必要があります。そのような趣旨で、県の東と西と中央の合併を経験した市長から選ばれた3人の討論会では,それぞれが考えるリーダー像等について意見交換したほか,県や議会との関係、環境問題、中心市街地活性化、コミュニティなど、市民の質問に答える形で、お互いの意見を述べ合いました。
 テーマが多岐にわたったことと、時間の制約もあり、若干の消化不良のところもありましたが、初めての試みにしては、及第点を挙げられる、あるいは参加者としていただける出来ではなかったかと思っています。
 今後とも、このように市民に直接、私の考え方や意見を訴えることのできる機会は、お呼びがかかる限り、積極的に参加してまいりたいと考えています。
 慌しくはありましたが、充実感を持って八月最後の日を締めることができました。

知事・市長トップ会談

8月31日(金)

 本日,香川県高松市のトップ同士の第一回会合ということで、私が県庁に出向いて、真鍋知事との会談を行いました。

 それにしても、報道機関を始めとして周囲の注目度の高さは、言いだしっぺの私の予想をはるかに超える大きいものがありました。まず、会談の部屋に入るなり、報道機関のカメラや記者の数の多さに圧倒されました。そして、会談結果は、翌日地元紙の一面トップの取り扱い。


 県土の20%を占め、県人口の42%を擁し、県庁所在の中核市である高松市の動向は、県行政にも多大の影響を与えますし、県の方針によって、高松市の行政施策の成果も大きく異なってきます。したがって、常日頃から、県当局と市当局が情報交換を密にし、意思疎通を十分に図っていることが、お互いのためですし、ひいてはそれが市民の利益にも適うことだと思うのですが、これまでは、余りそのようなことが行われていなかったようです。トップ会談にしても、このように正式な形で香川県知事と高松市長が話し合うのは、初めてではないか、ということでした。
 真鍋知事さんとは、個人的にもずっと前からお付き合いがありますし、私の市長就任後も、会合で同席する機会も多く、いろいろな話は雑談に交えてしてきました。でも、こういう形で正式にお互いの胸襟を開いて率直な意見交換をする場がもてたのは、やはり格別で大きな意味があったと思っています
 短い時間ではありましたが、中心市街地の活性化策や県立中央病院市民病院の新築移転問題、職員の人事交流など、県市に共通する重要課題について有意義な意見交換を行うことができましたし、屋島陸上競技場の市への移管も正式に合意することができました。
 本格的な地方分権時代を迎え、道州制の議論も活発化する中、県と市がお互いの役割分担を明確にし、また重要課題に連携して取り組んでいくためには、トップ同士でも共通の問題意識を持ち、施策の整合性をとることが重要です。
 今後も、この会談を定期的に開催し、県と市がそれぞれの立場で、住民の皆様に充実した行政サービスを提供していけるよう、努めていきたいと思います。

第26回姉妹城都市高松市・彦根市親善少年野球交歓大会

8月26日()

 本市が全国でも珍しい姉妹『城』都市として縁組をしている彦根市(滋賀県)との交流事業の一環である、親善少年野球大会がサーパススタジアム等で開催され、開会式で挨拶をするとともに、始球式でピッチャーにも挑戦してきました。

 本大会は,昭和57年に初めて開催されて以来,今回で26回目を迎えるとのことで,これまで,野球を通してともに汗を流すことにより,子供たちの間には多くの強い絆が生まれてきています。


 そうした絆は,将来にわたる両市の親善交流にもつながるものと期待しており,子供たちには,日ごろの練習の成果を遺憾なく発揮し,悔いの残らないよう精一杯プレーして,友情と交流の輪を広めてもらいたいと思います。
 そういう思いで、投げ込んだ始球式の一投は、・・・写真のボールの位置と、キャッチャーの子が腰を浮かしていることからご想像のとおり・・・大暴投、ネット直撃でした。何年もボールを握っていないにも拘わらず、キャッチボールも一切せずに本番に臨んだことが悔やまれますが後の祭り。
 肝心の交流試合も、市長の大暴投で調子が狂ったわけではないのでしょうが、高松市が0勝4敗の完敗だったとのこと。申し訳ありませんでした。

高松ファイブアローズ 表敬訪問

8月24日(金)

 今期のBJリーグのシーズン開幕を控え、高松ファイブ・アローズの丸岡監督、青木ヘッドコーチとキャプテンの喜多誠選手、宮本真司選手、アイザック ソジャナー選手らが市役所を訪れて来てくれました。

 高松ファイブ・アローズは、昨年からBJリーグに参戦した新しいチームですが、私が総務省をやめてこちらに帰ってきてすぐに、リーグの緒戦を観戦させてもらった縁もあり、それ以来1ファンとしても応援させていただいています。


 昨年は惜しくも最終決勝戦で破れ、リーグ2位にとどまりましたが、今年は是非とも昨年の雪辱を果たしていただき、優勝の栄冠をつかんでいただきたいと期待しています。
 今日は、特別に「00番 ONISHI」のユニフォームもいただきました。今シーズンは、できるだけ試合に足を運び、このユニフォームを着て、応援したいと思います。

 余談ですが、見てのとおり、アイザック選手は別格として、喜多選手も宮本選手も私とほとんど身長は変わりません。それでプロリーグであれだけの活躍ができるのですから大したものだ、と改めて感心した次第です。

ホノルル出張報告・その3 − その他行事、雑感など

8月19日()〜23日(木)

 今回の日米市長交流会議におけるアメリカ側の出席者は、全米市長会会長のダグラス・パーマー、トレントン市長(ニュージャージー州)、開催地のムフィ・ハネマン、ホノルル市長(ハワイ州)を始め、ゲイリー・ヤマウチ、アルハンブラ市長(カリフォルニア州)、ダニエル・ファルタド、キャンベル市長(カリフォルニア州)、チャーメイン・タバレス、マウイ市長(ハワイ州)、ジョン・ロバート・スミス、メリディアン市長(ミシシッピー州)、ケビン・バーンズ、ノースマイアミ市長(フロリダ州)、マイケル・マローン、サイパン市長(自治領北マリアナ諸島)の面々でした。

そして、第一回の交流事業からずっと仕切り役をやっていて、関係者から一番の実力者とも言われているトーマス・コクラン米国市長会事務局長ら事務局が同行していました。

 昼間の交流会議以外にも、歓迎レセプションなどで何度か顔を合わし、話をするうちに、何となく気心が知れてくるとともに、日米の市長という公職に関連する制度や環境の違いが浮かび上がり、その点も興味深く会話が弾みました。
 アメリカの地方自治制度は、州ごとの法律で決まっているため、もちろん一様ではないのですが、ほとんどが条例で市長の当選回数を制限していて、大方が2期8年までとしているとのことです。8年じゃ短すぎるのでは?と投げかけると、自分もそう思うが、市議会議員で市長になりたいと思っている人が多く、どうしても短期に制限することになってしまう、という回答でした。
 市長とは別に市の統括管理者として
シティー・マネージャーを置いているところも多いようです。
 更に、市長部局の執行部の幹部は
ポリティカル・アポインティ(政治的任用)であることがほとんどで、市長が交代すると十数人の幹部がごっそり入れ替わるというワシントンの連邦政府と同様の現象が起こるそうです。
 今回のホスト市であったホノルル市でも、出迎えから夜のレセプションまでハネマン市長のスペシャル・アシスタントの外間さんを中心とした幹部スタッフが本当に親身に世話をしてくれました。この辺りは、日本における市長と市役所幹部職員との関係、雰囲気とは全く違うものがあります。どちらがいいということも言えませんが。
 また、アメリカでは市長という職はとにかく市民に溶け込んで人気者であるべきだ、との考えも強いようです。
 実際ホノルル市のハネマン市長は一緒にいてこちらが十分感じ取れるたほど、市民から絶大な人気がありました。ステージに立って挨拶をするときも、トロリーバスで移動をしていても、「
メイヤー・ハネマン」と手を振って呼びかけてくる市民が大勢います。少しうらやましい気もしました。
 市長会会長であるパーマー・トレントン市長も、「自分も環境問題を子供達に訴えるために、漫画の中でスーパーマンになって頑張っている。」と言っていました。そして、環境問題に対処するためには「
我々市長のパフォーマンスが極めて重要だ」と会議を締めくくっていました。
 政策目的を達成するために、パフォーマンス等を通じて市民に溶け込み、合意形成をしながら推進していくことの有用性、重要性を改めて認識しました。
 21日には、環境保護区として規制されているハナウマ湾海洋保護地域を視察しました。オアフ島の中でもほとんど開発がされずに手付かずの自然が残っている地域で、珊瑚、熱帯魚、ウミガメなどの貴重な動植物の保護がハワイ大学を中心に図られています。
当日は、自然を守るために設けている観光客の入れない閉館日だったのですが、ホノルル市長の特別な計らいでこの地域に入る人は皆必ず見なければいけないというビデオを上映してもらうとともに、少しの間、水中に入ってその自然美を直接体験することができました。
 これも貴重な体験となりました。
 21日の夕方は、
JETプログラムに参加したOB青年5人と意見交換会を持ちました。皆2年から3年の日本滞在中は、いろいろ困ったこともあったものの総じて日本に好印象を持っているようで、楽しく、和やかな会になりました。今後とも日本とアメリカ、ハワイをつなぐ架け橋として、大いに活躍していただきたいと願っています。
 以上、とりあえずのホノルル出張活動報告とさせていただきます。

ホノルル出張報告その2 − 日米市長交流会議

8月20日(月)

 8月20日(月)は、朝からホテルの会議室で環境問題をテーマに日米市長の代表の意見交換会が開催されました。

 私からも、環境教育や環境実践活動についての高松市の具体的な取組みをパワーポイント等の資料を使ってプレゼンテーションしました。出席者からは、日本の都市(高松市)は、様々な意義のある事業を積極的に行っていて素晴らしいとの評価もいただきました。


 環境問題については、アメリカ側の市長の関心も非常に高く、日本のごみ処理における細かな分別収集の手法や徹底したリサイクルの考え方には、特に質問が多く出されていました。
 アメリカの環境問題に対する取組みは、州によっても大きく違うようですが、映画「不都合な真実」の影響やカリフォルニア州における極めて先進的な取組みなどに感化され、このままではいけない(何か行動を起こす必要がある)との意識が高まっているようです。


 少し意外ではありましたが、出席者に民主党支持の人が多かったという事情もあるようです。
 とにかく会議自体は、活発な議論が交わされ、私自身も勉強になり、大変有意義なものであったと思います。
 但し、最後に釘宮大分市長が苦言を呈しましたが、ホノルルの夏に、冷房の効きすぎた部屋でネクタイ上着着用にて環境問題に関する会議を行うというのは、やはりナンセンスでしょう。アメリカにクールビズというようなものがないため、仕方ない部分はありますが、これを機会にアメリカ側にもその辺りから省エネを少し考えていただきたいとも思いました。

ホノルル出張報告その1 − アリゾナ記念館(真珠湾)等視察

8月19日()

 8月19日から3泊5日の日程で、日米市長交流会議に参加するため、ハワイ州ホノルル市へ出張してきました。
 全国市長会の会長の佐竹秋田市長、副会長の森長岡市長、大橋裾野市長、釘宮大分市長と私、それに全国市長会事務局の3人の総勢8人の訪問団です。
 ハワイは、日付変更線のすぐ東側にあるため、時差が19時間もあり、また、地球の自転と逆方向に向かうため、出発した19日は、実質43時間を過ごすことになります。
 夕方6時半に成田を出発して7時間かかってホノルルに着くと、その日の朝の6時半。当然そこから休み無しでの活動開始となりました。

 まず、アメリカ海軍の真珠湾(パール・ハーバー)へ行き、海軍じきじきの案内で日本の真珠湾攻撃によって撃沈した戦艦アリゾナ号の現場に置かれている乗組員らの戦没者1200名余りの慰霊碑(アリゾナ・メモリアル)に献花し霊を慰めました。
 そして、普段、一般人は入れないという真珠湾の軍用基地を海上からぐるりと一周視察させていただきました。基地内には、その甲板上で日本の降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリが退役後記念艦として保存されていました。


 その後、ホノルル市内の国立太平洋記念墓地に行き、ここでもアメリカ側の市長会代表と共に日本側も佐竹会長が献花を行い、全員で黙祷をささげました。
 同じ太平洋戦争を振り返る場所としても、これらの場所では日本人は、どうしても加害者としての色彩が濃くなります。
 私自身もまだ、訪問時の自分の感情や思考を上手く整理しきれないでいますが、少なくとも,それぞれの伝える厳然たる事実については、きちんと自分の中に刻み込んでおきたいと思っています。

愛川欽也氏が監督映画「黄昏れて初恋」を引っ提げて
来高されました

8月17日(金)

 愛川欽也氏34年ぶりの監督作品「黄昏れて初恋」の上映会が、全国に先駆けて本市で開催されるに当たり、本日、御本人がPRのため、市役所を訪ねてこられました。(株)アムロンの宮本社長のご紹介です。

 愛川氏は、70歳を超えた現在も、俳優業を始めとして、テレビやラジオで御活躍されているほか、劇団「キンキン塾」を主宰し、後世の育成にも尽力されており、その仕事に対する熱い情熱にはただただ、驚かされます。


 お会いした感じは、テレビで見るお姿、印象そのまま。全く飾り気も無く、偉ぶったところも無く、今回の映画の件やご自分がやっていること、これからやりたいことなどをこれもテレビで見るのと同様の口角泡を飛ばさんばかりの早口で喋られました。

 そして、次の監督映画では、ぜひとも高松市をロケ地に入れたいと言って頂きました。私からも、「是非、高松市内をいろいろ見ていただいて、気に入ったところでロケをしてください。応援します。」とお願いをしておきました。

 行定勲監督の「世界の中心で愛を叫ぶ」に続いて、松井久子監督の「レオニー(仮題)」に愛川欽也監督の新作映画と、高松市の街の様子や自然の風景が映画のスクリーンに映し出される機会が増えることは、本当に嬉しいことです。そして、それと共にロケや製作過程を通じて映画文化というものが本市の中で育まれていくことは、本市の更なる活性化に大きく寄与するものと期待しています。

「讃岐国分寺子供太鼓」東京国際和太鼓コンテスト出場を激励

8月17日(金)

 讃岐国分寺子供太鼓の2チームが、第6回東京国際和太鼓コンテストの一次審査に見事合格し、8月25日・26日、東京の青山劇場で行われる本選に出場することとなり、本日、メンバーの子供たちが市役所を訪れてくれました。

 讃岐国分寺子供太鼓は、平成9年に、有名になっていた大人の讃岐国分寺太鼓の後継者育成のために結成されており、これまでも、同コンテストで、全国1位、2位の輝かしい実績を残しています。

 私も一度、ある会合のアトラクションで見させていただきましたが、大人顔負けのエネルギッシュで躍動的で、ぴったりと息の合った撥捌きと腹の底に鋭く響く太鼓の音の迫力に圧倒されました。さすがは全国優勝するだけの実力を持ったチームだと感激しました。

 讃岐国分寺太鼓が発足してから20年余りになるようですが、大人から子供まで、太鼓の演奏を通じて受け継がれているこのような地域文化は、貴重であり、今後とも大事に守り育てていかなければならないと思います。

 コンテストでも息の合った迫力ある演奏で,讃岐国分寺太鼓の魅力を余すところなく全国の皆さんにPRして、優秀な成績を獲得してきてもらいたいと思います。

第42回さぬき高松まつり 総おどり

8月14日(火)

 本日、第42回さぬき高松まつりを締めくくる総おどりが行われました

 私も、当初は、市役所連に交じって踊る予定だったのですが、日程調整の結果、取材や来賓対応で今日は結局「見る阿呆」に徹しました。ご招待した姉妹城都市の彦根市(滋賀県)の獅山市長さんを始め関係者、また、親善都市の水戸市(茨城県)の皆さんと一緒に観覧させていただきました。


 総おどりでは,「一合まいた」の曲を現代風にアレンジした「さぬき高松まつりのテーマ」に合わせて多くの連がそれぞれ工夫を凝らして練習してきた独自のおどりを繰り広げていました。また、全国を席巻しているよさこい方式のオリジナルテーマに合わせて踊る自由連にも7チームが参加して、気合の入ったパワフルな衣装や踊りで訪れた人々を魅了してくれました。

 また、中央公園のステージでは、初めて韓国・忠清南道・天安市から招いたフンタリョン・プンムルダンの皆様による韓国伝統の演舞等が繰り広げられ、観衆の盛大な喝采を浴びていました。私も、中国上海テレビの取材を受けるなど、これまでになかった国際色も加味され、国内外に向けて、高松まつりの魅力をPRできたものと、満足しています。

 今年は、見るだけに終わりましたが、来年は、ぜひとも、皆さんと一緒に「踊る阿呆」になりたいと思います。

桜町中学校全国大会出場おめでとう。 祈・優勝

8月9日(木)

 桜町中学校野球部が,先の香川県大会、四国大会に優勝し、8月13日から4日間、横浜スタジアムで開催される第24回全日本少年軟式野球大会に出場することとなり,本日,監督さんを始め,部員の皆さんが市役所を訪れてくれました。

 何と、県中学校軟式野球大会を大会史上初となる全試合無失点で制し,四国大会でも,失点は1点だけ。9試合で1失点のエースの高橋君を中心とした見事な守りのチームです。

 監督さんは、「このチームは負ける気はしないんですが、なかなか勝つ気もしないんです。」とこぼしていましたが、それにしても期待が膨らみます。

 しかも、全国企業の支店の多い高松市の学校チームらしく、レギュラーの半数は、香川県以外で生まれた転校生とのこと。それをここまでのチーム力にまで持ってきたメンバーと関係者のご努力に敬意を表します。 

 颯爽とした、という形容がぴったりの坊主頭に、真っ黒に日焼けした顔からは,皆の明るさと自信、そして日ごろの練習の厳しさがうかがわれました。是非とも,エースの高橋君を中心とした守りの野球で活躍し,全国制覇を目指して欲しいものです 。

渡辺大臣と牟礼石灯りロードを視察

8月8日(水)

 渡辺内閣府担当大臣が本市牟礼町における源平史跡・石材業などを活用したまちづくりの視察に訪れ,私もまだ、石灯りロードを見ていなかったため、同行させていただきました。
 視察では,洲崎寺で石版に刻まれた源平の歴史の簡単な説明を受けた後、「石灯りロード」を始め,石材加工工場や石のアーティストたちの企画展等を見学しました。そして、むれ源平まちづくり協議会の皆様による活動状況の説明等が行われました。


 牟礼のまちづくり協議会は,合併前に作られ、活発に活動が行われていたものですが、合併後は、エリアを隣の庵治町、屋島まで広げ、「四国高松 庵治・牟礼・屋島『源平の里ポータル』」と銘打ってサイトサイト運営もされており,歴史(源平)と自然(屋島・瀬戸内海)と地場産業(庵治石)という地域の特性と魅力を生かしたまちづくりに取り組まれています。

 水族館のリニューアルや庵治町のセカチューの世界とも併せて、屋島観光がより広域に、魅力的になって復活しようとしています。私としても公私併せて応援したいと思っています。

商店街の南の交流広場「4町パティオ」オープン

8月6日(月)

 高松中央商店街のうち、北は、3町ドームの完成に象徴されるように再開発事業等が順調に進み、活気が戻りつつあります。そうなると、次は南だ!ということで、平成12年ごろからなんだかんだと議論、試行錯誤が行われていた、田町交番の西側に位置する4町パティオ広場がこのほど完成し今日執り行われたオープニングセレモニーに出席してきました。

 この整備事業は、南新町・常磐町・田町商店街の皆様が中心となって進めてこられたもので、『高松市中心市街地活性化基本計画(PDF4.92MB)』では、商業の活性化を牽引する事業に位置付けられています。 

 総事業費はさほどかかっていないのですが、きれいな透水性カラー舗装の上に、世界で最も高価とも言われる庵治石のテーブルと椅子。それにイタリア製の白い洒落たパラソルが配備されて、明るく、清潔で楽しい雰囲気が広場自体から醸し出されています。様々な関係者のご尽力とご協力の賜物だと思います。 


 これで,ガラスでできた日本一の北の『3町ドーム』,そして、この南の『4町パティオ』と中央商店街の南北に街行く人々の交流の拠点が出来上がりました。今後,この交流拠点での音楽やアートのイベントの開催等を通じて,中央商店街がさらに活気付き,行く行くは、商都高松の復活につながっていくことを改めて願っています。」

「八島の舞」と「あまから水祭り」

8月5日()

 今日も暑い日でしたが、高松ならではの伝統文化とコミュニティを心底良いものとして味わえた一日となりました。

 まず、午前中は、玉藻公園の披雲閣大書院で開催された『八島の舞』で子供とともに夏を過ごすと題された上方舞の吉村ゆきぞの先生とそのグループの行事に参加。
 吉村先生は、高松市出身で上方舞吉村流の第一人者。源平の合戦を題材にしたこの地元に伝わる地唄舞『八島の舞』を屋島小学校の五年生に教え始めて4年になるということです。最初は浴衣と帯と足袋を付けることだけで悪戦苦闘。扇を置いて手を突いてお辞儀がまともにできるだけでも大した成果だと思いました。


 冷房のない披雲閣の大書院は、窓が開け放たれ、心地よい風が吹き渡り蝉時雨が降っていました。吉村先生に注意を受けながら浴衣姿の小学生がきちんと背筋を伸ばして立ち居振る舞いをしている姿は、これぞ讃岐の理想的な夏休みの過ごし方ではないか、と思えるものでした。

 間違いなく、夏休みの絵日記のメインの記事になるイベントでした。

 一旦、自宅に帰って、少し休憩した後、今度は、私の地元コミュニティである木太町の一大イベント、『あまから水祭り』に参加してきました。それも、開会式で挨拶するだけでなく、メインイベントである詰田川の筏競争に、地元洲端(すべり)地区の往路のこぎ手として出場。見事一位でゴールをしました。ボートのこぎ手の類は、松江時代の大橋川の『松江市民レガッタ』に出場して、途中までトップを走りながら私の椅子が外れて結局ブービーとなった5年前の苦い思い出以来でした。


 でも、その時の経験が生きたのでしょう。本当に気持ちよくトップでゴールインさせていただきました。今日もまた「気持ち良かった」の一言でした。

 文化とスポーツ、それを地域コミュニティが大事にしながら息長く伝え、地域に根付かせていくこと、それが本当に大切なんだ、との認識を新たにしました。

大島青松園夏祭り

8月1日(水)

 本日,夕方に庵治港から大島に渡り,大島青松園の夏祭りに参加してきました。
 大島を訪れるのは早くも3回目です。
 今日は、お祭りということで,阿波踊り,よさこい鳴子踊り,一合まいたを始めとする四国の代表的な踊りの披露や,打上花火,職員の皆様による模擬店など,多彩な催しが繰り広げられ,また,高松市役所吹奏楽団のサックスアンサンブルが参加しました。
 写真に写っているように真鍋香川県知事と飯泉徳島県知事も来られて、療養所の職員、入所者や参加の市民の皆様と交流を深められていました。

 私も,開会式であいさつした後,自家製の焼き鳥をご馳走になり、ビールを飲みながら、墓標松越しに瀬戸内海に沈む美しい夕日や,元気いっぱいの踊りなどを鑑賞させていただき,大変有意義で楽しい時間を過ごさせていただきました。

 来年以降も多くの皆様方に参加して欲しいと思いながら、療養所の今後のあり方という課題をどうしたものかと頭をひねりつつ、島を後にし、20年以上ぶりに夜の高松港に帰還しました。

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