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いよ!成田屋! こんぴら歌舞伎大芝居(座頭:市川海老蔵)

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 ついに念願かなったり。
 江戸時代の芝居小屋をほぼそのままに保存、復元した琴平町の金丸座で毎春開催され、歌舞伎ファンを中心に全国の注目を浴びているこんぴら歌舞伎大芝居http://www.town.kotohira.kagawa.jp/kabuki/に初めて行って来ました。
 前々から、是非行きたいとは思っていたのですが、香川から離れて暮らしていて、時期を合わせて帰郷できなかったり、また、非常に人気が高く、チケットはなかなか手に入らない、という噂を聞いて半分あきらめてもいた部分もありました。

 今回、30年ぶりに帰郷して高松に腰を落ち着け、余裕を持って日程調整をしてチケットを得ることができ、やっと永年の念願がかないました。
 しかも、今年は、瀬戸大橋開通20周年記念行事としての性格も併せていて、女性ファンを中心に現在絶大な人気を誇る11代目市川海老蔵を座頭とする公演で、役者も若手を中心とした豪華俳優の競演http://www.town.kotohira.kagawa.jp/kabuki/24kabuki/profile.htmlとなりました。

 海老蔵を直接見ることができる、と若干興奮気味の妻と二人で胸をときめかしながら琴平に行ってきました。
 お昼前に家をでて、有名うどん店で昼飯をと思い、最初綾川町の「山越」に行きましたが、駐車場から満杯で、行列も半端じゃない長蛇の列。これは、一時間以上かかるとあきらめ、琴平の「宮武」へ。20分ほど待って、中に入り、「ひやあつ」のかけの大盛りに天ぷらを2品付き。混んでいた所為か、前に食べたときより麺が少し固めに過ぎましたが、それでもなかなかのもの。妻と二人、満足の足取りでいよいよ金比羅さんへ。
 開演前に時間があったので、金比羅さんに参拝しがてら、昨年、資生堂パーラーが本殿のすぐ下に出店し、街の噂となっている「神椿http://www.kamitsubaki.com/」という喫茶・レストランでお茶を飲んで一休み。
 名残の桜に新緑が芽吹こうとしている自然の山麓風景と現代アート調の喫茶室のデザイン、雰囲気がうまくマッチしていて、短時間の滞在でしたが、気持ちの良い、清涼な季節感を味わうことができました。
 
 そして、いよいよ本番の歌舞伎鑑賞。
 私たちが見たのは、午後の部で、出し物は、「夏祭浪花鑑(三幕)」と「供奴」。熱心な歌舞伎ファン、海老蔵ファンが県外からも多数来ていたようで、始まる前から、金丸座は、外も中も一種異様とも言える雰囲気で盛り上がっていました。
 満員の客席は、市川海老蔵を始めとした役者が登場し、声を出し、見得を切るのに合わせて、溜め息、歓声、拍手、笑いなどが交錯します。皆、熱演だったと思いますが、海老蔵の芝居は、さすがに存在感が別格で、いわゆる「艶」や「花」がありました。見せ所も多く、魅力たっぷりの舞台で、素人目にも十分に楽しませてくれた。
 江戸時代そのままの、小さな芝居小屋ならではなんでしょうが、これだけ、舞台と客席が一体となった雰囲気は、現代の劇場やホールでは、決して味わえないものでしょう。声や楽器の音や効果音も良く響いて、音響効果も素晴らしく、まさに、生の雰囲気が味わえます。空気が響いているのが肌で感じるような感じで、客も自然と物語の中に引き込まれていき、五感を揺さぶられて感動を味わえるのです。
 金丸座という芝居小屋が残っていて復元されたからこそ、香川の地でこれだけの歌舞伎の舞台が堪能することができるのであり、本当に有難いことだと思います。

 ちなみに、「夏祭浪花鑑」は、主人公が義理が絡んだ諍いから舅(義理の父親)を殺してしまうと言う話ですが、「父殺し」というテーマは、最近読んだり、見たりしたものだけでも、[カラマーゾフの兄弟」、「海辺のカフカ」、「オイディプス王」とあり、古今東西を問わず、人間の生き様を描写する文学、物語の主要テーマである事件なんだ、と頭の中でシナプスが「アハッ」とばかりにつながりました。

 私が言うまでもなく、金丸座というハードと一体となったこんぴら歌舞伎大芝居は、観光資源として超一級品だと思います。
 その琴平と高松は、「コトデン琴平線」という一本の路線の起点、終点として直結しています。高松市の観光にも、この金比羅さんやこんぴら歌舞伎との連携を今以上に生かせることはできないものか、と考えています。でも、オフの時間を楽しむつもりがついつい仕事モードも入ってしまうのは悲しい性ではありますね。
 

里山と里海ー屋島と備讃瀬戸

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うち(高松市)の「里山」は屋島で、「里海」は備讃瀬戸です。というと贅沢すぎるとお叱りを受けるかもしれません。

先日、瀬戸内海研究フォーラムin香川という催しのレセプションに出させていただいて、瀬戸内海を「里海」として守り育てていくことの大切さを再認識しました。

ところで、「里山」という言葉は、古くからよく聞きますが、「里海」という言葉を聴くようになったのは、ごく最近です。少なくとも私には、あまり耳慣れない言葉でした。
でも、調べてみると「里海」という言葉は、結構昔からあったみたいです。それを、近年、瀬戸内海本来の環境を取り戻したいと活動をしている研究者が再発掘し、広めようとしている言葉のようです。

「里山」は、人間が定期的に手入れをすることによって、土地の生産が持続的で、生物多様性も高い身近な山林です。日本では、古来から地域に存在するこのような山を「里山」と呼び、共同体で手入れをしながら守り育ててきました。
その考え方を海に取り入れて、再度「里海」として認識し、守り育てていこうというのです。
定義では、「里海」とは、「適度な手入れ、つまり人の力が加わることによって生物の生産力と多様性が高く、生態系として持続的で、身近な生活圏内の海」を言うとのことです。
何も手を施さなければ緩慢な死を迎えつつあるような瀬戸内海を、「里海」の概念でもってトータルに手入れし、もういちど瀬戸内海本来の姿を取り戻したい、という関係者の切なる願いが今回のフォーラムのテーマ「豊かな海と島づくりー里海を育てる人と法」にも現れています。
是非とも瀬戸内海を「里海」として守り育てるための多くの方策が見つかり、その実践的な活動の輪が広がっていくことを期待したいものです。

私のマニフェストにも「23. 市内に点在する里山の保全に積極的に取り組みます。」を掲げています。
高松市内には、屋島を代表格として堂山や峰山など、地域の人たちが、登山や手入れをしながら環境を守り育てている里山が8つくらいあるそうです。
特に、屋島では活発な活動を行われていて、4年前に遍路道を利用していた7人が中心となって作った「里山クラブ屋島」は、今や会員数が1000人になろうかとしており、遍路道の登り口に登山者のための杖を備え付けたり、路傍の地蔵仏への供花、道や側溝の清掃を定期的に行っているとのこと。そして、このような里山の保全活動の中心となっているのは、定年退職後の中高年の方たちです。

2007年は、戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代が定年を迎え、大量退職に伴う、様々な課題が急激に浮かび上がってくるとして、「2007年問題」とも言われる年です。
各企業における技術、営業等のノウハウの伝承をどうするか、管理職の大量退職に伴う組織の問題、退職金や再就職の問題などなど、それぞれの企業や組織で対応すべき課題も、日本社会全体でまとまって発生する大きな問題となります。
いろいろな対処策が様々に組み合わされて講じられるべきなのでしょうが、地域振興の観点からは、私は、これを「団塊の世代の地域デビューのチャンス」と捉え、香川県、高松市の出身者や支店勤務などでかつて高松に居住したことのある人を中心として、U、J、Iターンの呼びかけを強めていきたいと思っています。
そしてその誘引策の強力なコンテンツとして「里山」と「里海」を生かそうと考えています。

『高松市の「里山」と「里海」である屋島と備讃瀬戸があなたの「手入れ」を待っています。
高松に帰ってきませんか。
終の棲家として高松はいかがですか。』

う~ん。やはり、贅沢だとお叱りを受けるかも知れませんね。


 

高松国際ピアノコンクール

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「第一回高松国際ピアノコンクール」(http://www.tipc.jp/japanese/index.php
は平成18年の3月に開催され、大成功を収めました。
そして、オリンピックと同じく4年ごとの開催として、次回は平成22年の開催が予定されています。

今日の日中、時間が出来たので、このピアノコンクール統括委員会会長の綾田百十四銀行会長から以前にいただきながら、ちゃんと通して見ていなかったDVDをじっくり鑑賞しながら、第一回TIPCの感動を新たにしました。

見た感想です。
とにかく、1位となったパヴェル・ギントフ(ウクライナ)が凄かったですね。
本選の時の課題曲「屋島」と「リストの2番」の出来は、素晴らしいものがあり、会場から思わず「ブラボー」の声が上がったのもむべなるかな、でした。
審査委員長の岩崎淑さんの「ここで世界で最高水準の演奏が聞けたのがこのコンクールの成功を約束した」という評にすべてが現れています。
でも、私としては、準決勝(第三次予選)の時の「モーツァルトの20番」がしっかり聞きたかったとの思いもあります。私の一番好きなピアノ協奏曲なもので。どこかに録音でも残っていないものでしょうか。

先日、綾田会長とともに、NTTドコモ四国の西邑社長と音楽監督の堤俊作さんがお見えになって、第二回の高松国際ピアノコンクールに対する協力要請を受けました。

私としては、もちろん「このTIPCは高松市を情報発信し、イメージアップを図ることの出来る最たるイベントです。高松市として協力できるところは最大限のご協力を申し上げたい。」旨をお答えしました。

音楽全般が好きな私ですが、ピアノには格別の愛着があります。
幼稚園の頃のヤマハ音楽教室から始まって、小学校6年生のとき、「勉強せんといかんから」とソナチネとツェルニーを途中で断念した挫折感とともにピアノ(ピアニスト)への憧れがあるのです。

仕事と趣味が合致して、のめり込むというのは極力控えるべきと自戒しながらも、これ(TIPC)だけは是非とも成功させて、継続していきたいと、今から勝手に意気込んでいます。
それは、多分市民の多くの皆様が望んでおられることだと思います。


ちなみに、私の好きなピアニストは、何と言ってもマルタ・アルゲリッチ。
その後に続くのが、内田光子、グレン・グールド、フリードリヒ・グルダあたり。
ジャズ系では、ビル・エバンズ、キース・ジャレットあたりはいつでも飽きなく聴いています。
そして、異色ながら浜田真理子の弾き語りにもはまっています。

第二回高松国際ピアノコンクール。今から楽しみにしています。

ピアノという打楽器は本当に魅力的です。

半夏生に渇水とうどんを思う

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明日は、半夏生(はんげしょう)です。
この半夏生というのは、雑節の一つ。夏至から11日目にあたる日で、例年7月2日頃になるようです。

でも、私がそれを知ったのは、恥ずかしながらつい3年ほど前でした。愛用している日記の7月2日のところに「半夏生」とあり、その日に行われる小豆島の虫送りの行事が紹介されていたからです。

文字通り読むと「半分夏が生まれる日」。なんとも小粋な名前の節季だと思いませんか。

歳時記によると、半夏生とは、
「夏至から11日目の7月2日ごろ。農家では田植えの終わる頃で、この日の天候によって稲作を占ったり、この日、雨が降れば大雨が続くとか、地方によっていろいろの風習や物忌みが守られる。」とのこと。

例年にない冬から春にかけての少雨と空梅雨模様で、渇水による水不足が深刻化している中、降雨につながることであればなんでも信じたい気持ちになっています。

そう、是非とも明日、半夏生の日には雨が降ってほしいものです。

それと7月2日は「うどんの日」でもあります。
丁度、田植えが終わる時期にあたる半夏生にうどんを食べて農作業の疲れを癒やす讃岐独特の風習にちなみ、さぬきうどん協同組合が定めているそうです。

外の雨を見ながら昼食の讃岐うどんをすする。
そんな心穏やかに過ごせる日になればいいのですが。

ついでに、この時期に花を付ける「半夏生」と呼ばれるドクダミ科の植物(写真)もあります。「かたしろぐさ」とも言われるそうです。また、別の説では、花に近い葉っぱの一部が白くなり花よりも目立つので、“半化粧”だともいわれます。
本来梅雨で夏本番前のこの時期にふさわしく、控えめで、見ているだけでほっとする植物ですね。

最後に季節の句を二句添えて。
「風鈴の夜陰に鳴りて半夏かな」(飯田蛇笏)
「空梅雨の島々を見て船は航く」(高浜虚子)

お勧めCD「まちうた。SKETCH OF T-CITY」・・・うきうきです。

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「まちうた。SKETCH OF T-CITY」というCDをある人からいただきました。
高松の街を歌った曲ばかりを集めたCDとの触れ込みでした。

なかなかしゃれたプレゼントだな、とは思ったのですが、どうせ・・・と(失礼。本当に今となっては真にもって失礼だったと思っています。)、音楽的にはそれほど大したものではないだろうと高をくくっていました。
それがそれが、家の帰って聴いてみてびっくり。

本格派です。
まさにポピュラーソングです。
良い音、良い曲、良い音楽がそろっているのです。
2000円の価値は十分にあります。
どこに出しても恥ずかしくありません。・・と若干興奮気味になりました。

何と言っても、歌の菅涼子さんの少し鼻にかかり、アンニュイなユーミンといった感じの声が素敵です。
彼女が作曲も担当しているということでその才能もなかなかのもの。
伊予三島の生まれ育ちで、高松に来て9年。この街が気に入っていて「飽きたら他の街に行こうとも思っていたけど、ぜんぜん飽きないんですね。 人間関係でも深追いしないというか、大人なんだと思う。半年連絡がなくても昨日会ったみたいに話が出来るし、 いい距離感っていうか、高松の人は頭がやわらかいんでしょうね。」http://www.act.or.jp/machiuta/という嬉しいことを言ってくれています。

タイトルの「まちうた。」の「。」も効いています。
この「。」は私にとって3つ目の句点。
最初はおなじみの「モーニング娘。」のマル。2回目は北海道にいるときに決まった観光キャンペーンの標語「試される大地。」のマル。そして、「まちうた。」です。
よく分かりませんが、多分、付けられた人には相当のこだわりがあるのでしょう。

JR四国高速バス車内でも流されるらしいhttp://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/07-04-23/07.htmですし、じわじわと人気が広がってきている感じです。
この間も夜南新町あたりを歩いていると、屋台でこのCDがかかっていました。

中心商店街のテーマソングなんかに育ってくれると楽しいでしょうね。
もちろん私も、一熱烈ファンとして応援したいと思っています。

「まちうた。」10曲、すべてお気に入りですが、私の一押しは、2曲目に納められている「風の通り道」です。
ボサノバ調の曲で高松を「ティー・シティー」って呼んでいるのが格好いいですね。何度聞いてもさわやかにうきうきします。

高松市長選挙のご報告(選挙戦(一日)を振り返って)

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私の選挙は、告示日の4月15日(日)、一日で終わりました。
朝、7時から石清尾八幡宮に必勝祈願をした後、事務所に戻り、8時半から出陣式。
それと同時に立候補の届出を行い、9時からの出陣式に臨みました。

10時前に遊説カーに乗り込み、とにかく一日で可能な限り市内全域を駆け巡ることを目標に選挙戦のスタート。
休日でまだ閑散としている「まちなか」を駆け抜け、屋島から、牟礼、庵治へ。牟礼町でははじめての「街頭演説」も体験しました。
街宣車を颯爽と降りて、聴衆の拍手に迎えられながら、屋外で台の上に立って演説するというのは、通常の会合での演説とは一味も二味も違って、不思議な力が湧いてきて思わず言葉に力が入ってしまいます。
最初は緊張しましたが、一声ですぐに解消。
いつもより自然に言葉が口をついて出る感覚がありました。
街頭演説は、午後にも国分寺でやりました。都合2回。
本音から言えばもう少しやりたかったところです。
庵治の半島をぐるりと回り、前田から西植田方面から仏生山を回って午後2時過ぎに一旦事務所に戻り、ウグイス嬢の交代と昼食タイムです。
(多分)一日しかない、というあせりもあり、わずか10分でうどんを掻き込み、お茶を飲んで休む間もなく出発。
ずっとニコニコしていたのか、出て行くときには「何だか嬉しそう」と妻に囃されました。
午後も香川町から塩江の道の駅までしっかり入ってから香南、国分寺、鬼無、香西を回りました。
そして再び、「まちなか」へ。
心なしか、午前中よりも手を振ってくれる人の数が多い気がしました。
それが、街宣活動をすればするほど、「大西ひでと」が浸透したようにも思えて、嬉しいものでした。
これを手ごたえって言うんでしょうね。自分も窓から身を乗り出すように所謂「箱乗り」をして手を振って返していました。それが自然にできるようになっている自分が不思議に思えました。
こういう時は、応援してくれたすべての人の声に答えたい、といった気持ちになりますね。
やはり、こういう感覚があるからこそ、無投票よりは、選挙をしっかりしたほうがいい、といわれるのでしょうか。

五時の締め切りの時点で私以外に立候補者がなく、そこで当選確定。選挙運動もストップしなければなりません。
その連絡が携帯電話で「まちなか」を流していた街宣車に入り、車中で運転手さん、ウグイス嬢の皆さんと固い握手を交わし、最初のお祝いをしました。

そして、五時を十分ほど過ぎて関係者の皆さんが待機してくれていた事務所に帰り、万雷の拍手に迎えられました。

午後6時から当選報告会。万歳、万歳、万歳です。
後は、報道等で見聞きされたことと思います。
とにかく私は、充実感と嬉しさでいっぱいでした。

最初スタッフに確かめておしとやかに万歳をせず、頭を下げていた妻も、報道陣の「奥さんも万歳して!」の注文にのって手を上にして良い笑顔を見せていました。
花束を渡してくれた娘、最後には壇上に上がって万歳をした母、ともども家族の理解と支えに改めて感謝したいと思います。

以上、相当遅くなりましたが、私の選挙当日の顛末記として、報告させていただきます。。

「ウェブ進化論」と「自治体をどう変えるか」ーお勧めの新書

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(このブログは、是非とも平成18年内に書いておこうと思っていたのですが、忙しさにかまけて延び延びとなり、気がつけば、年が明けて1月ももう終わり。締め切りをずるずる延ばしながら切羽詰ったところで原稿を仕上げる作家のような気持ちで(そんな上等なものではありませんが)とにかく、記しておくこととします。)

「ウェブ進化論」と「自治体をどう変えるか」
いずれも、昨年ちくま新書から出た本です。私が昨年中に読んだ中で最も刺激を受け、自治体関係者、情報政策に興味のある方その他の多くの皆さんに是非ご一読をお勧めしたい2冊です。
 
まず、「ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる」。
マスコミ等でも結構、持て囃されていましたのでご存知の方も多いかと存じます。94年からシリコン・バレーに在住し、日米の情報産業界と深く関わってきた現在株式会社はてな取締役の梅田望男さんの著書です。
「WEB2.0」や「ロングテール現象」など、専門家の間で話題になっていても余り世間一般には知られていなかったキーワードをわかりやすく解説しながら、情報社会の近未来を確実に予測してくれます。
また、現在急成長を遂げているグーグルいうユニークな企業の価値、成長の理由を「世界中の情報を組織化する」というミッションを与えられているからだ、と解き、グーグルは「世界政府が開発しなければならないはずのシステム」を作ろうとしており、「ウェブ上での民主主義を実現しようとしている」という分析により説得力を持って説明してくれています。
私は読んでいて、何回も「目から鱗」が落ちました。

「WEB2.0」の情報社会では、従来のマス・メディアからのいわば上から与えられる下りの情報提供だけでなく、ユーザーオリエンテッドな上りの情報が大量に行き交うこととなること(著者は総表現社会と名づけている)。そして、グーグルのようにインターネットの向こう側で集まってくる巨大な情報に対して上質の情報処理が行われるべくイノベーションが起こっていること(著者は情報発電所と呼んでいる)、などは、複雑怪奇に見えた情報産業のこれからの方向性を暗闇に懐中電灯を照らしたように明確に示してくれています。
昨年末のある新聞に2007年に押えておきたいIT関係の経済用語として「WEB2.0」、「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」、「ロングテール現象」、「ユーチューブ」の4つが挙げられていました。
まさにこの本が重要視して取り上げているものばかりです。
コンピューターはちょっと苦手という人にも、これからの情報社会の行方を占う上で必読の書としてお勧めしたいと思います。

次に、「自治体をどう変えるか」。
地方自治行政にずっと携わってきた私としては、地方自治関係の話題の本として当然すぐ入手して読ませていただきました。
少し読んだだけで、その中身の濃さ、充実振りが分かり、真剣にのめりこみました。
著者は東京都庁職員から学究の世界に入り現在、中央大学経済学部教授を務められている佐々木信夫さんです。
都庁時代の実務経験に裏付けられている所為もあるのでしょう。現状分析の正確さと鋭さ、これからの進むべき方向性についての示唆にとんだ提言など、奇抜さは全くなく、逆にその分、重量感のある非常に奥の深い読みものとなっています。

目次だけ記しても、

①変化する行政環境、②地方分権―国と地方の攻防、③政策官庁としての自治体、④自治体の政策活動、⑤議会をどう変えるか、⑥急がれる公務員改革、⑦深刻化する財政危機、⑧市町村の将来―合併後、⑨府県の将来―道州制、⑩国のかたちー分権国家

と現在の自治体を取り巻く課題はほぼすべて網羅され論じられているといっていいでしょう。
これからの地方分権時代をどう切り開いていくかに悩む自治体関係者には必読の本だと思います。
随所に大きく肯かされる記述があるのですが、特に、「これからは、公務員を「公共ビジネスマン」と捉えたらどうか。」とか、「明治、昭和の大合併は「小異を捨てて大同につく」とされた。しかし、平成の大合併は「小異を大切に大同につく」と考えるべきである。」などは、非常に深い意味合いを持った指摘です。
さらに、自治体議会のあり方については、これまで問題点、課題はいろいろ言われても、「どうするべきだ」という議論はほとんど行われてきておらず、是非とも本書が大きな波紋を巻き起こす一石となって欲しいと願っています。

この2冊もそうですが、最近は、「国家の品格」や「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」など、新書のベストセラーが多く出るようになりました。
読みやすくて、勉強になる。私も新書は好きでよく求めます。誇大広告まがいの「表題」に振り回されることも多いのが反省点ではありますが。
ところで、何故この手の本を「新書」って言うのでしょうか?

ドッグイヤーの次は猪突猛進だ

今年も残すところあと一週間を切りました。
今年の一年は・・・と書き始めるに当たって、正月にどんなことを思っていただろうと、このブログを遡って見ると、1月1日付けで、

『「一年の計は元旦にあり」、とはいってもこの変化の激しい時代。1年も先の事を誰が見通せるでしょうか。昨年の元旦に、今の小泉政権のあり様や株価の急上昇をある程度でも予測できた人がいたでしょうか。
しかも、今年は戌年です。ドッグイヤーなのです。お犬様は一年で人間の4倍も5倍も成長するといいます。それだけドッグイヤーとは変化のスピードが速く、内容が濃くなることをいうのです。
私自身の一年後の姿だって自分でも予測できっこありません。計はなかなか立てられません。じゃあ、どうするか。せめて「一年の志」だけはこの元旦のさわやかな日の光を浴びながらを立てておこうと思っています。』

と記されています。

そう、まさに今の私の状態を一年前の正月の時点で誰が予測できたというのでしょう。我ながら分からないという事が良く分かっていたなぁ、と変な感心をしています。

とにかく今年は、父の三回忌から始まり、トリノ・オリンピック、ドイツ・ワールドカップとスポーツ観戦を楽しんだ後、7月には自治財政局から情報通信政策局への人事異動。ITの慣れない専門用語と格闘をしながら地デジの推進をしていたところに急転直下、高松市長選挙出馬の要請があり、一大決心をして総務省を退職して帰郷。そして出馬表明を経て政治活動開始と、私の人生の大きな転機の年でした。その分、身辺も揺れ動き、激動の年となりました。
文字通り、犬と同様一年で通常の人の4、5年分を経験したような、あとから思えば動きが速くてあっという間のドッグイヤーでした。

また、今年の漢字は「命」でした。悠仁様の誕生やいじめ自殺などから「命の大切さ」を痛感した年ということです。
私個人の場合は「イノチ」ではなく「メイ」。人事異動の「命令」であり、人生の決断において「天命」、「運命」といったものを感じた一年でした。

そしていよいよ来年はイノシシの登場です。
私は亥年の年男。
文字通り、今度は「猪突猛進」で行かせていただきます。
但し、「衝突猛省」ばかりにならないよう、少しは周囲に目を配りながら進んで行きたいと思います。

日記の効用

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活動報告にも記しましたが、今日、丸亀町商店街の壱番街にオープンした紀伊国屋書店で日記帳を求めました。
高橋書店発行の「当用新日記2007」(写真右端)です。別称「高橋の日記NO.1の2007年版」。
3年前に始めるまでは、20代の頃のほんの一時期(しかも不定期)を除いて日記はほとんど書いたことはなく、その効用というものもよくわかっていませんでした。
周りの人の中には、中学生の頃から、とか社会人になってからずっとという人もいましたが、生来の不精癖か、毎日日記を付けるなんてことは自分にはできないものと思っていました。
それが、どうしたことか三年前のちょうど今頃、ふと立ち寄った書店で見つけたこの日記帳を手に取り、2004年元旦から書き始めるとそれが今日まで続いています。
日記を書き始めて4日目に父が他界したこともあり、初っ端のところで心を入れ替えられたのかも知れません。

2004年の1月1日の日記を見てみると、
「今年持っていたい境地・・・
 釣鐘にとまりて眠る胡蝶哉  蕪村」と記してありました。
ちょっと気取っていますね。

日記を毎日書くということは、その日その日にあったことを頭の中でおさらいするという行為を伴います。また、手書きすることで日本語の言葉や漢字がちゃんと思い出せて書けるかどうか復習できます。それだけで、今流行の脳トレと同等以上のボケ防止効果があるように思います。
また、毎日寝る前とか、朝起きてからとか、決まった時間に日記を書く習慣をつけることで、生活が規則正しくなり、生活にリズムができます。そうなると健康にもいいはずです。

さらに、私の使っている日記帳は、暦や月齢に加えて、日々のページの側に俳句か短歌、脚下に雑学豆知識(大方はトリビアの泉に出てもへぇ~は少ないと思われるもの)が記されています。これもまた、毎日ちょこっと楽しめるアイテムです。
ちなみに2007年の元旦のページには、
側に「元旦や暗き空より風が吹く  青木月斗」の句と
下に「神社の参道の中央は神が人間界との往来に通るので、参詣者は端を歩くのが礼儀とされている。」との有難い注意書き。
気分が清々しくなる感じで、今から正月が楽しみになりました。

イサムノグチと天命と

今日、帰郷してから初めて牟礼町(合併して高松市内です)のイサムノグチ庭園美術館 (http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm)を訪問し、イサムノグチ日本財団の理事長の和泉正敏さんにお会いしてきました。

和泉さんとは、5年前、島根県に勤務していたときに、県立病院内の慰霊碑を和泉さんが造られたことが縁で松江でお会いしてからのお付き合いです。

また、イサムノグチの作品自体は、札幌に暮らしていたときに大通公園のブラック・スライド・マントラと完成前のモエレ沼公園(http://www.welcome.city.sapporo.jp/moerenuma/index.html)で子供たちと一緒に遊ばせてもらって以来の大ファンです。

その彼の試作中のものも含む数々の作品群が故郷香川に、高松市牟礼町に残されていること自体が誇りでしたし、それを大切に守っている和泉さんには常々敬意を持っていました。

久しぶりにお会いした和泉さんは、私が故郷に帰ってきたことを本当に喜んでくれました。

そのような言葉をかけていただくと、私自身「決意を持って故郷に帰って来てよかったなあ。」との感慨もひとしおです。

10年をかけてイサムノグチの遺志を引き継ぎ和泉さんが完成させた札幌市のモエレ沼公園内の時空間もそうですが、この庭園美術館の敷地の中は、そこに佇んでいるだけで心がすうっと洗われるような雰囲気があります。

そうしょっちゅうはお邪魔できないでしょうが、私の貴重な癒しの場所、心の故郷のひとつとなりそうです。

もう一つの話題。

今日お会いしたある企業の社長さんから、「天命ですよ。頑張りなさい。」という言葉をいただきました。

確かに、自分自身でもそう感じている部分はありました。

格好よく言えば前にこのブログで書いた西郷隆盛の漢詩にある(http://www.oi-hideto.com/oi-blog/diary.cgi?no=28

如能識天意   もし能く天意を知らば

豈敢自謀安   あに敢えて自ら安きを謀らんや

の境地に至ったということでしょうか。

簡単なことではないでしょうが、これからも座右の銘である「敬天愛人」の精神を実践していきたいと思います。

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