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 さて、「高松散歩」のコーナーを作ったはいいけど、どんなことを書こうか??・・・  と、思い悩みながら、決めました。

 ★ このコーナーでは、私の好きなこと、街で見つけたこと、趣味の音楽、スポーツあたりを中心にごった煮でしかも文体等にもこだわらずに徒然日記風に記していきます。
 独断と偏見で勝手な言い分も出てこようかと思いますが、そこはご容赦を。

■■■ 第百回 ■■■

新生ふるきゃらMUSICAL『トランクロードのかぐや姫』

1月28日

 「新生」となっても「ふるきゃら」は「ふるきゃら」。相変わらず、笑いあり、涙ありのステージで、終わった後は元気をいっぱいもらって帰ってきた。但し、今回の演目は、選挙を前にした現職市長の身にとっては、少々「縁起でもない」もので、始まってからしばらくは、どうもお尻のあたりがむずむずして座り心地が悪かった。


 アルファあなぶき小ホールで行われた「新生ふるきゃら」のミュージカル公演「トランクロードのかぐや姫」を見てきた。
 「ふるきゃら」のミュージカルを見るのは、約10年ぶり、2度目である。前回は「噂のファミリー 1億円の花婿」という舞台で、過疎化に悩む農村を舞台にした喜劇ミュージカルだったが、今回は、街道筋にある都市の寂れるばかりの商店街が、失恋して東京から逃げてきた若いOLの元気で明るさを取り戻していく、という物語。そして、その商店街の浮上のきっかけになったのが、「待機児童の解消」を公約にした市長選挙で、美人女性候補に敗れ落選して、仕方なく奥さんが設立した託児所で(公約を果たすべく?)子どもを相手にする保父さんとなった元市長、という設定で、「縁起でもない」と思いながらも、身につまされながら見ていた。


 ちなみに、落選した元市長が、商店街の中に奥さんが作った託児所の保父さんとなり、その信用によって、子どもを預ける人が増え、それに併せて商店街も明るく元気になった、というのは、実話だそうだ。まさに「人間万事塞翁が馬」、何が功を奏するかはわからないものである。

 「新生ふるきゃら」は、旧「ふるさときゃらばん」が自己破産したため、メンバーの有志が別会社を作り、舞台装置等を継承して、各地で公演を行っているものだそうだ。それだけに、スタッフも最小限でやっていて、大道具、小道具もほぼすべてを役者が動かし、出し入れしていた。いかにも手作り感のあるステージなのだが、楽器を生演奏していた音楽担当の3人も含めて、演技、ダンス、歌・音楽すべてにおいてレベルは非常に高く、途中休憩を挟んでの約2時間、全く飽きることなく楽しめた。そして、昔の「ふるきゃら」の公演と同様、あるいはそれ以上に元気をもらえた。

 その意味では、このミュージカルの舞台そのものに、商店街を再生させるためのヒントがあったように思う。
 地方都市の商店街の活性化の鍵は、町を良くしようという前向きな気持ちであり、人と人との絆とチームワークであり、手作り感を失わないことである、と「新生ふるきゃら」が作りだしたこのステージを見て確信したのである。


■■■ 第九十九回 ■■■

カマタマーレ讃岐のJFL昇格と出馬表明

12月11日

 このブログに早く記さなければ、と思いながら、議会や諸行事が立て込んでいて、遅くなりました。

 !!!カマタマーレ讃岐のJFL昇格、本当におめでとうございました。!!!

 先の5日、日曜日、カマタマーレ讃岐は、地域リーグ決勝大会の最終戦で三洋電気洲本に1対0で勝ち、全勝で決勝大会を優勝、JFLの自動昇格を決めました。

 4年越しの悲願達成です。
 思い起こせば、4年前、私が高松市長選挙に出るために平成18年11月2日に総務省を辞め、香川に帰ってきて最初に出席し、挨拶したイベントが、その年に発足した新生「カマタマーレ讃岐」の四国リーグの優勝祝勝会でした。その時のブログでは、

ところで、この奇抜なチームの名称。

公募によるものだそうですが、今や讃岐うどんを代表するメニューとなった「カマタマ」と海を表す「マーレ」を組み合わせてできたものとのこと。
漢字で書くと「釜玉海讃岐」・・・良くわかりません。
発表と同時に当然のごとく「なめとるのか?」といった反応を中心に全国から反響メールが殺到したとのこと。
確かにサッカーチームにうどんの一メニューの名を冠するというのは、世界中でもここ香川県だけのものでしょう。
それだけに香川県人、出身者にとっては愛着の持てる(恥ずかしいという少数意見もあるようですが)名前です。
私の贔屓だった今J2のコンサドーレ札幌(過去形です。今日からカマタマーレ讃岐に乗り換えました)だって、道産子を逆読みして頑張れという「オーレ」をつけたもの。
漢字で書くと「子産道檄札幌」・・・ちょっと不気味。
似た者同志でいつかJ1で試合をすることを夢見て頑張って欲しい、と挨拶で激励をしておきました。


と記しています。
 あれから4年たち、私の市長1期目の任期の最後の年で、JFL昇格を果たしてくれたことは、何か、私自身がマニフェスト(公約)の1つを実現できたような気がして、我がことのようにうれしく思います。

 そして、この嬉しいニュースに後押しされながら、私も次の新たなステップへの決意表明を行いました。

 9日、木曜日に開かれた高松市議会本会議で、会派の代表質問に答える形で、来春の高松市長選挙に再選出馬し、市民の皆様のご支持が得られれば、次の4年間の市政運営のかじ取りをしっかり担っていく決意をした旨の次のような答弁をいたしました。

「私といたしましては、先ほど申しあげました一期目のマニフェストに掲げました政策が着実に進捗し、成果を挙げていることにつきまして、一定の満足感はございますものの、目標とすべき到達点に至っていない項目もあり、また、積極的な取組にもかかわらず、市民満足度の

評価では、低くなっている項目も見受けられ、市民の皆様の市政に対するニーズに、未だ十分には応えきれていない面も少なからずあるものと認識をいたしております。
 また、本市では、新市民病院の移転改築や屋島陸上競技場の整備を始め、サンポート北側街区の利活用の問題、さらには、公共交通体系の再構築などの懸案事項への取組が進行中であることに加え、市制施行百二十周年の記念すべき本年にスタートさせた自治基本条例に基づき、市民の参画と協働による市民主体のまちづくりを、これから全面的に推進していこうとしているところでございまして、私が掲げた「すべての市民が暮らすことに誇りの持てる真の田園都市・高松」の構築への歩みは未だ、道半ばであるものと存じております。
 こうした状況を踏まえまして、来春の高松市長選挙において、審判を仰ぎ、市民皆様方の多数の御支持、御支援をいただけますならば、引き続き、市政の舵取り役をしっかりと担い、第五次総合計画に掲げた、目指すべき都市像「文化の風かおり 光かがやく 瀬戸の都・高松」の実現に取り組んでまいりたいとの決意をいたしたところでございます。」

 市民の皆様方の格別の御理解と、これまで以上に御指導、御鞭撻を賜りますようお願い申しあげます。


■■■ 第九十八回 ■■■

マロンの潮風radioに出演

11月17日

 この間の土曜日13日に片原町の三越前にあるルビー商会という雑貨屋の一角にある放送ブースにお邪魔して、インターネットラジオ番組「マロンの潮風radio」の収録を行ってきました。


 主宰は、栗生みどりさんという、自己紹介によると「『香川の魅力を世界へ』をコンセプトに国内外のお客様を香川にご案内する『ボーセジュール』を経営する」、私の高校の後輩であり、「まちうたプロジェクト」の企画にも当初から参加し、さらには昼間っからゆったりとワインを飲む店を作りたいと豊島にワインバーまでオープンしてしまったという多方面で活躍中の女性です。

 2人で適当にやり取りをしながら約1時間。自己紹介から始まり、瀬戸内国際芸術祭の話やら高松の魅力やら近未来の高松のイメージやら、果ては事業仕分けの問題にまで話題は多岐にわたり、ついつい本音も・・・・。

 中身については、インターネットラジオで聞いてみてのお楽しみ。

 なお、放送の中で好きな音楽を4曲までオン・エアーできるということで、何をかけてもらおうかと選曲に悩みに悩んだ末、次の4曲を選び、かけてもらいました。
 私なりの寸評も併せてご紹介しておきます。
 


「東へ西へ」(井上陽水)・「懐かしい未来」(大貫妙子)・「ユー・アンド・ユア・ハート」(ジャック・ジョンソン)
 「ウーマン・イン・ラブ」(バーブラ・ストライザンド)

オープニング

「東へ西へ」(井上陽水)・・・

今から37年前、中学2年の時に行ったコンサートで衝撃を受けた私の応援歌。

2曲目

「懐かしい未来」(大貫妙子)・・・

瀬戸芸でも歌ってくれた、大事なものを未来へ見つけに行こうという哲学的で優しい曲。

3曲目

「ユー・アンド・ユア・ハート」(ジャック・ジョンソン)・・・

今、海を歌う歌手と言えばハワイのこの人。今年はやったこの曲はギターフレーズがカッコ良く好き。

エンディング

「ウーマン・イン・ラブ」(バーブラ・ストライザンド)・・・

晩秋に聞きたくなるとっておきのラブソング。五輪真弓「恋人よ」も同じ年のヒットで、そちらもお勧め。


■■■ 第九十七回 ■■■

大盛況のうちに千秋楽ーアートと海を巡る100日間の冒険

11月1日

 瀬戸内海を、そしてそこに浮かぶ島々を、そして島に住むおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔を、現代アートを通して国内外に情報発信し、全く新しい形で再認識させてくれた瀬戸内国際芸術祭2010が、昨日10月31日をもって閉幕となった。



 最終日は、終了を惜しむ涙雨か、あいにくの天候となったが、最後の最後まで島に渡る人の波は途切れることなく、結局最終的に93万8千人余の来場者という、当初見込み(30万人)の3倍を超える大盛況であった。また、会期中、会場の男木島の火災で島民1人が亡くなり、その類焼で大岩オスカールさんの人気作品「大岩島」が消失する痛恨の出来事はあったが、それ以外は、大きな事故、トラブルもなく、総体として大成功と言っていいイベントとなった。私自身も、実行委員会の副会長に名前を連ねており、関係者として、この成功を本当にうれしく思っている。

 芸術祭のフィナーレは、7時半からサンポートのテント広場で行われた閉会式。式が始まる前から、国分寺太鼓や大道芸で雰囲気が次第に盛り上がっていく。特にフランスから来た巨大竹馬の怪物「ダークラクー」の会場乱入には、子どもたちが大喜び。熱気が高まってきたところで、閉会式が始まった。主催者あいさつの後、お世話になった関係者や小エビ隊の面々が、一言スピーチを繋いでいく。
 アートでつながる。そうなんだ、このつながりこそが瀬戸芸の真骨頂というものかもしれない。いつの間にか会場にいる大勢の老若男女が一体化していた。


 そんな中、私から、瀬戸芸の公募作品の最優秀賞である「公募大賞」を発表。審査員の福武総合プロデューサーと北川総合ディレクターの粋な計らいにより、大賞は、消失した大岩オスカールさんの「大岩島」に授与された。私の発表と同時に、何とも言えないどよめきが起こり、一瞬を置いて納得したかのような拍手が沸いた。良かった。大岩オスカールさんには、次回の瀬戸芸での優先エントリー権も与えられる。多分、「大岩島」に勝るとも劣らない素晴らしい作品が、次回に向けて用意されるはずである。これも楽しみである。




 閉会式の最後に私から「お名残り惜しゅうございますが・・・」と閉幕の挨拶。先にこの「高松散歩」で記した大貫妙子さんの「懐かしい未来」を題材として、「3年後に、懐かしい未来でまた会いましょう。」と締めくくらせていただいた。

 終了後、会場の外に出ると、冷たい雨がしとしとと降っていた。私の酔いと熱気で少し火照った身体には心地よく感じたものの、あれは、皆を帰らせたくない遣らずの雨だったのかも知れない。


■■■ 第九十六回 ■■■

懐かしい未来へ

10月11日

 一昨日(9日)、サンポートのデックスガレリアにおいて「街角に音楽を@香川」企画製作で、高松市出身の名ギタリスト小倉博和さんが中心となったコンサート「music blue concert in マザーポート高松」が開催されました。
 これは、既に予想来場者の倍以上の来客で大盛況を博している瀬戸内国際芸術祭2010(瀬戸芸)の最終盤を、音楽でさらに盛り上げようという企画です。

 コンサート本番では、私は冒頭挨拶をして、小一時間聴いて次の予定があったため中座せざるを得なかったのですが、最後までいた妻によると、香川県出身でトップギタリストと言っていい小倉博和さんを中心に、特別ゲストの大貫妙子さん井上鑑(あきら)さんを交えて、地元のミュージシャンたちが共演し、それはそれは、アットホームな雰囲気で、水準の高い音楽を楽しみ、心から感動できたステージだったようです。 




 特に、この4月に開校した新番丁小学校の子供たちが、大貫妙子さんと小倉博和さんの共作による校歌を合唱した場面で、大貫さんが「この子たちの未来は、私たち大人の責任です。しっかり頑張りましょう。」と呼びかけたところが最も印象深かった、と話していました。そして、アンコール曲の「懐かしい未来」も素晴らしかったと。

 このコンサートの呼び物は、何といっても大貫妙子さんが、快く高松に来てくれて、コンサートに参加してくれたこと。


 大貫妙子さんといえば、山下達郎さんなどとともに、シュガーベイブという伝説のグループでデビュー。それ以来、日本を代表する女性シンガーソングライターとして長く活躍されている方です。いかにも東京出身のおしゃれなアーティストという雰囲気で、私の高校時代からのあこがれの存在でした。今回、コンサートの前に、お会いしてお話しできただけで感激ものでした。

 それから、井上鑑(あきら)さん
 最近では、福山雅治のバンドリーダーとして有名なようですが、古くは、「ルビーの指輪」の編曲を手掛けていたり、大瀧詠一のほとんどの活動をサポートしている作編曲家でキーボード奏者です。
 コンサートの中で、この井上さんのさりげない気遣いに感激しました。
 というのは、ステージの上で、井上さんが作曲した「スプリング・ホイール」という曲の題名のいわれを聞かれた時に、「ブラッドスウェットアンドティアーズというグループの「スピニング・ホイール」というヒット曲をもじったもの」と説明され、加えて「高松の市長さんは、多分ご存じでしょうが」と、前夜に少しお話しただけなのに、私が60年代、70年代のロックが好きだったことをさりげなく披露していただきました。
 思わず顔が赤らむほどでしたが、嬉しく思いました。

 そして小倉博和さん。高松市田町で生まれ育ち、四番丁、紫雲、高商を出て、大学進学で東京に。本人によると、中学時代からギターばっかり弾いていたおかげで、今やサザン・オールスターズの桑田さんなど、有名ミュージシャンと一緒にプレイする名ギタリストとしてその世界では著名なアーティストです。
 小倉さんとも今回初めてお会いしたのですが、私と同じ学年(小倉さんが早生まれ)だったこともあり、初対面とは思えない気安さで楽しくお話をさせていただきました。
 小倉さんの素晴らしく円満な人柄と、きめ細やかな心配り、そしてふるさと高松への熱い思いがあったからこそ、今回、大貫妙子さんや井上鑑(あきら)さんらの大物アーティストが高松で、このような入場無料の平場のライブに出演いただけたのだ、ということがよくわかりました。
 本当に感謝です。


 それにしても、大貫妙子さんがアンコールで歌ったという、「懐かしい未来」という題名と楽曲、瀬戸芸のコンセプトに何とぴったりなのでしょう。
 NHK・FMの「懐かしい未来」と題した番組の紹介で、大貫妙子さんは、 「懐かしい未来へようこそ!」と、次のように語っています。
 「過去に帰ることはできません。私たちは未来に探しに行かなくてはなりません。(知らないうちに落っことしてきた)その落し物を。」


 瀬戸内海の自然の美しさや豊かさ、島々の文化、そしてそこに住むおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔などなど。
 瀬戸芸は、私たちが発展という名のもとに落としてきた様々な落し物を探し見つけて、再び磨いていくイベントなのかも知れません。


■■■ 第九十五回 ■■■

143年前、龍馬は三豊市沖で事故っていた

8月21日

 活動報告した昨日、三豊市で行われた瀬戸内クルージングサミットのシンポジウムの後、関係者で船に乗り、幕末の1867年4月23日に坂本龍馬率いる海援隊が伊予大洲藩所有の「いろは丸」を借り受け、物資を長崎から大阪に運搬中、現在の香川県三豊市沖で紀州藩船明光丸と衝突し、鞆の浦に曳航される途中で沈没したという現場海域を視察してきました。



 仁尾マリーナから船に乗り、沖へ向かうこと約30分。目印も何もない、ただの青い海原の現場(衝突地点は、関係資料等からの推測。沈没地点は、GPSで特定できているとのこと。)に到着してエンジンを止め、詳しい説明を受けただけなのですが、そういう歴史的出来事、しかも今話題の坂本龍馬にまつわる話をその現場地点に滞在しながら聞くと、何か、難問を解決した時のような合点がいき、ある種の感慨がわきあがってくるから不思議なものです。厳しい残暑が残る日差しの強い中でしたが、行けて良かった、と思いました。

 ちなみに、「いろは丸」事件の談判を終えた龍馬は、約1ヵ月半後の6月9日に長崎から土佐藩船「夕顔丸」に乗り込み、兵庫へと向かい、その船中で(記録が残されていないので、推測ですが、多分、瀬戸内海を航行中)かの有名な大政奉還等を提言する「船中八策」が作られました。そして、それから約4ヶ月後の10月15日に大政奉還がなされており、それを見る間もなく、わずか一月後の11月15日に龍馬は、京都河原町近江屋で中岡慎太郎らとともに暗殺されるのです。
 それにしても、仁尾マリーナから見えた夕陽の美しさ
(写真)もまた格別でした。143年前には、同様な瀬戸 

の夕陽を坂本竜馬も瀬戸内海の上から見ていたのでしょうか。そう思うと、また新たな感慨がわいてきました。


■■■ 第九十四回 ■■■

ちょい悪オヤジ風?

8月4日

 香川県の支援により、常磐町商店街の空店舗を活用して文化芸術の情報発信拠点を作ろうと、8月1日にTAG(トキワ・アート・ギャラリー)がオープンし、開所式でのご挨拶とオープニングを飾る写真展「History of 30people」のテープカットに行ってきました。

 この「History of 30people」という写真展。
 常磐町商店街をはじめとした高松市の中央商店街8町で活性化のためにがんばっている人30人を選び出し、そのポートレートを若手女性写真家(フォトグラファー)GABOMI(ガボミ)が写し撮ったものを展示したものです。

 光栄にも私もその1人に加えていただきました。
 GABOMIさんの「ちょい悪オヤジ風で」というリクエストにお答えして、オールバックのリーゼントで決めて、とも思ったのですが、撮影直前にちょっと手を入れただけのにわか仕立てのため、髪型は中途半端。本人としては、若干不満の残る被写体の出来ではありました。
 しかしながら、完成した写真は、なかなかうまく撮れており、見た人からは、「市長、かなり若返りましたね。」などと、概ね好評で、私も嬉しくなりました。

 ギャラリー正面に置かれて、ポスターとなった常磐町商店街振興組合の野沢理事長の変身ぶり(これは当に「ちょい悪オヤジ」)も見事ですが、他の人の写真も、ほとんどがいつもとは違った外見やしぐさ、表情をしながらも、個性が写真にしっかりと撮られていて、その人のこれまで歩いてきた人生や人となりなどが、じわっと伝わってくる味わいのあるものに仕上がっていました。
 お知り合いのおられる方は、是非一度足を運んで見てみてください。
 きっとたくさんの「良い顔」が見れて、少し嬉しくなれるはずです。



■■■ 第九十三回 ■■■

維新派犬島公演「台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき」

7月28日

 「維新派」、と言ってもはやりの龍馬伝とは関係ありません。ましてや、新しい地域政党とは、全く関係ありません。
 現在開催中の瀬戸内国際芸術祭の関連事業の一つで、岡山県犬島で野外劇「台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき」を公演している劇団の名称です。その「維新派」の公演を昨日犬島まで行き、鑑賞してきました。

 高松港から運行されている専用船に乗ること45分ほど、豊島の北に位置する犬島に到着。犬島は私も訪れるのは初めてですが、定住人口は60人ほどだというこの小さな島は、その象徴である巨大な煙突を中心として、島全体が一つのアート作品、あるいはパフォーマーとして存在しているかのように整備され、上陸するだけで、心が動かされるものがあります。
 まずは、今回の芸術祭の参加作品である「犬島・家プロジェクト」を見て回り、そして、かつては銅の精錬所だった遺構が建築家の三分一博志さんとアーティストの柳幸典さんのコラボレーションで巨大な野外美術館?に


生まれ変わっている「犬島アートプロジェクト「精錬所」」を鑑賞、十分に犬島の魅力を味あわせていただきました。
 そして、公演開始までの約一時間は、劇団員が出しているエスニック料理の屋台で軽食を食べながら、綱渡りパフォーマンスや女性ロックシンガーのミニライブを楽しみながら開演を待ちました。

 犬島へは、高松だけでなく岡山からも大勢ツァー客が訪れていて、平日だというのに、客席はほぼ満席という状況で、夏の夕方の小さな島は、人があふれるように大いに賑わっていました。
 公演は、6時半から約2時間。全くの野外劇場ですから、蝉はやかましく鳴いていますし、自然の空や空気、月や宵の明星もすべて舞台装置の一部です。精錬所の象徴である崩れかけた巨大な煙突の遺構も重要な舞台装置となっていました。
 日没前のまだ明るいうちに劇ははじまり、途中、青い空にオレンジの薄い敷物を敷いたかのようなきれいな夕焼け空が現れました。そして日没。舞台の上の電燈の灯りが、ごく当たり前のようにともされ、スポットライトが眩しくなり始めると、次第にフィナーレに向かって劇が盛り上がっていきます。

 物語は、現代と19世紀後半から20世紀前半の台湾を中心とした東南アジアの植民地地帯を題材としたもので、それぞれの時空がいったりきたりして、または、異なった時空が同時並行して舞台上で繰り広げられます。ただし、犬島と言う小さな島の中で、ノンフィクションである現実の自然な時間と空間の流れに全体が包まれているせいか、体感としてはフィクションとノンフィクションの境目がなく、これまでにないような、ナチュラルな(?)観劇体験であったように思います。

 帰りも午後8時45分犬島発の専用船で帰高。
 アートと。すべてが見事にコラボレーションしていて、非日常的な感動を味わえた半日の小旅行となりました。


■■■ 第九十二回 ■■■

一足先に「まねぶ・モリエンナーレ」開幕

7月18日

 活動報告でも記しましたが、19日の海の日から始まる瀬戸内国際芸術祭2010のオープニングを目前にして、高松市美術館で、美術愛好家の間では、大きな話題を呼びそうな美術展が昨日(17日)から開幕しました。「森村泰昌モリエンナーレ/まねぶ美術史」展です。
 そして、そのオープニングレセプションが16日の午後行われ、今回の美術展の主人公の森村泰昌さんにもご挨拶をいただきました。


 今回の展覧会は、森村泰昌さんの作品コレクション展というよりは、森村さんがこれまで積み重ねてきた美術修行の一端をその元(モチーフ)となった本物の絵画(美術品)とともに自分史のような形で辿っていく非常にユニークな美術展となっています。しかも、森村さんの習作の元となった有名な絵画等として並べられているのは、ほとんどが高松市美術館に所蔵されている作品です。その意味で、森村さんの若き頃の感性の鋭さや情熱が感じられる作品ととともに並べて展示されることにより、高松市美術館のコレクションの豊富さと質の高さが、改めて認知され、更に輝きを増したようにも感じられます。

 この展覧会。これが森村泰昌の「まねぶ」ということだ、という展覧会の狙いがストレートに伝わってきて、感動を味わえるものに仕上がっています。私も今回、認識を新たにしましたが、「まねぶ」とは、造語ではなく、「学ぶ」と「真似る」の共通の語源でもある言葉だそうです。まさに、美の世界でも学習とは「真似て学ぶ」もの、すなわち「まねぶ」ものなんだ、ということを森村さんの若かりし頃の試行錯誤の習作の数々を目にして、感じることができました。
 私が今習っている書道にしても、古典を紐解き、それを丁寧に真似て書く、臨書という手法を抜きにして上達はあり得ません。そして、その「まねぶ」作業は、単に「似せて描く」のではなく、「それを書いた感覚を追体験する」ということが大事なのだという、コメントは、まさに臨書の意義とも通じるものです。「まねぶ」大切さが良くわかりました。


 今回の展覧会の最後の部屋に設置されている、ポスターにもなっている森村泰昌さんの「まねぶ」最新作の田中敦子《電気服》を題材にした作品は、瀬戸内国際芸術祭2010で女木島に開設される「福武ハウス」にも展示されることとなっています。是非、そちらも合わせて鑑賞していただき、多くの人に「まねぶ」楽しさと森村ワールドの面白さを体感していただきたいと思います。

 ちなみに「モリエンナーレ」とは、美術イベントで良くつかわれるビエンナーレ(2年に一回のイベント)やトリエンナーレ(3年に一回のイベント)のパロディでつけたものだそうです。第一回を成功させて、今後、トリエンナーレとしていきたいと思っている瀬戸内国際芸術祭の開幕直前の盛り上げとしても、思わず苦笑いさせられながら、さらにやる気が出てくるような美術展の開幕となりました。


■■■ 第九十一回 ■■■

再び、「1Q84」と「シンフォニエッタ」と「オルジュバルの夜」

6月28日

 巡り合わせの不思議に自分でも少し驚いている。

 村上春樹の「1Q84 BOOK3」を読み終えた。
 そして、その感想をとこの高松散歩を書いているのだが、「BOOK1,2」を読み終えて「「1Q84」と「シンフォニエッタ」と「オルジュヴァルの夜」」と題して書いた高松散歩の日付は、6月28日。ちょうど一年前の今日であった。

 そして、そこに書いてあることが、予言のごとくBOOK3で展開されたことに、少々驚いているのである。

 まず、BOOK2が思わせぶりに終わっていたので、BOOK3の登場は予想的中(もちろん数多くの読者も同様の予想をしただろうが)。
 妻が発売とほぼ同時に単行本を買ってきたため、妻が読み終えるのを我慢して待ち、20日ほど前から、寝る前や、休日の合間合間に読んで、昨日読了した。  

 期待にたがわず面白かった、とは言える。
 でも、BOOK1、2の様な次にどんな展開になるのか、予想不能の奇想天外な物語の躍動感は影をひそめ、伏線の解きおこしと最後の場面に向かっての一直線の素直な筋展開となっていて、若干拍子抜けはした。
 前回の高松散歩で、「「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」などのこれまでの村上作品の集大成として一つの到達点に至った作品、と評価しても良いのではないか。」と既に書いたところだが、あえて現時点から遡って分析すると、BOOK1、2がどちらかと言えば「海辺のカフカ」の乗りだったのに、BOOK3は、「ノルウェイの森」


の純愛路線に戻った感じである。もちろんそれはそれで悪くはない。

  今回は、村上春樹の本にしては珍しく、音楽が表に出てくる場面がさほどなく、その点はやや物足りなかった。
 そこで、最後の場面では、BOOK1の冒頭に鳴り響き、青豆と天吾がともに関わった音楽であるヤナーチェクの「シンフォニエッタ」のCDを、実際に部屋で流しながら、本を読み進めた。すると、音楽が本に入ってくるようにぴったりとシンクロナイズしたのである。やはり月の2つある「1Q84」の世界を象徴するのがこの「シンフォニエッタ」のなんとも不思議な調和(不調和)の音楽なのであった。


 それと絵である。
 前回に、「この「1Q84」の世界を絵にするなら、何と言ってもマルク・シャガールの「オルジュヴァルの夜」であろう。月が一つしか描かれていないのが残念ではあるが、この本の挿絵が描かれるとすれば、この絵がぴったりではないだろうか。花束の中で愛の夜を祝福してヴァイオリンを奏でている羊が猫であれば、言うことなしである。」と記している。

 この評価は、そのまま、いや、より数段的確に、BOOK3の最後の場面の世界に当てはまる。
 なぜなら、今回は、月はそのまま一つでよく、ヴァイオリンを弾く羊も猫である必要はなくなったからである。

 マルク・シャガールの「オルジュヴァルの夜」を持ち出したのは、ちょっとした思いつきにすぎなかったのだが、BOOK3の最後の場面が、ここまでぴったりとこれに納まるとは、ある意味予想外だった。これも村上春樹の伏線の術にうまく乗せられていたのかも知れない。

 そうなると、また気になるのは、BOOK4はあるのだろうか、ということ。
 そこが心配(楽しみ)になる余韻の残し方は、流石である



■■■ 高松散歩バックナンバー ■■■