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 さて、「高松散歩」のコーナーを作ったはいいけど、どんなことを書こうか??・・・  と、思い悩みながら、決めました。

 ★ このコーナーでは、私の好きなこと、街で見つけたこと、趣味の音楽、スポーツあたりを中心にごった煮でしかも文体等にもこだわらずに徒然日記風に記していきます。
 独断と偏見で勝手な言い分も出てこようかと思いますが、そこはご容赦を。

■■■ 第十回 ■■■

高松早朝散歩

9月16日

 8月末に受診した人間ドッグで、メタボリック症候群の境界線上にあるとの指摘を受けて、生活を変えてみようと一念発起。

 二週間ほど前から朝5時半に起きて50分間、5000歩、5キロを目標に散歩を日課とするようになった。

 文字通り、早朝の『高松散歩』の実践である。

 最初3、4日は、いろいろと歩くコースを違えて試してみたが、自宅から北へ向かい、屋島の脇から朝日が昇る様子を見てからは、コースは自然に固まった。 

 今の時期の高松の日の出は5時45分頃。歩き出して丁度、沖松島橋や屋島大橋から屋島を眺める頃に朝日が少しずつ顔を出してくる。
 

 屋島の麓から射すご来光は、毎朝思わず、手を合わせて拝みたくなるほどの神々しさである。
 この感動があるから、早起きも苦にならなくなった。
 逆に雨の日は、本当に残念。でも、やめるわけにはいかないので、マンションの階段と駐車場をぐるぐると何度も往復することにしている。
 今日も5時半過ぎに起きて、いつもの早朝散歩。
 天気もまずまずで秋の爽やかな空のようだったので、デジカメを持参し、写真を何枚か撮影してきた。


 このコースの途中には、高松市総合体育館もある。
 昨夜は、ここで、高松ファイブ・アローズのプレシーズンマッチの対新潟アルビレックス戦を観戦。「ファ〜イブアロ〜ズ、チャ、チャ、チャ、チャ」とスティックを打ち鳴らし、声をからして応援してきた。非公式戦とはいえ、圧勝に気分を良くして自転車で帰ってきた道でもある。

 帰宅し、体脂肪率も計れる体重計に乗ると、2週間の継続の成果が現れてきたか、数値が若干ではあるが低下していた。目標値到達までは、まだまだであるが、具体的な数値として改善が見られるとますますやる気も湧いてくるもの。


 早起き+『高松散歩』。さて、いつまで続くやら。そして、体質改善が果たせるのか否か、乞うご期待。


■■■ 第九回 ■■■

ひょうげ祭りの『御祝詞』

9月12日

 活動報告で記したとおり、香川町のひょうげ祭りに参加。そこで最後に面白おかしく挙げた祝詞がなかなか味のある内容だったので、記録に残しておくこととする。

『御祝詞』 かけまくもかしこき矢延兵六の神の 大前に、かしこみかしこみ、もうもうさく 今年も水がようけあって 大風がこんで、豊かに稔る おらたち百姓、助かり、もうかりもうす。 おら達百姓の神、新池の神、矢延兵六の神よ、ほんまに、ほんまに有難く、奉る。先祖代々、おら達百姓は、お米の「マンマ」がたべられる。 これも矢延兵六の大神の御助だ。 新池を築いてくれたおかげだ。 くる年、くる年、いよ栄えし栄えく青田ことごとにみのり給い、恵みたまえ かしこみ、かしこみ、もうもうす。


■■■ 第八回 ■■■

一面トップ

9月1日

 今日の四国新聞の一面トップに昨日行われた真鍋知事と私との会談の様子が掲載された。

 自分の写った写真、記事が新聞の一面トップを飾るのは、無投票当選で万歳をした翌日の朝刊以来。

 県と市のトップ会談は、前から言っていたことだが、これほどまでに注目を集めるとは正直思っておらず、昨日も、会談場所の応接室に入ったときは、余りの報道陣の多さにびっくりしたもの。
 そして、記事の「一面トップ」の扱い。
 初のトップ会談の開催が、合意した屋島陸上競技場の移管、改築問題も含め、それだけのニュース性があったということだろう。
 もちろん、有難く、悪い気はしていない。

 屋島陸上競技場については、できれば、カマタマーレ讃岐の本拠地としても使えるような整備を、と考えているが、具体的な計画はこれからである。


 それと、今日は、カマタマーレVSボルティス・アマの四国リーグ一大決戦の日。
 気分よく、久しぶりに帰省した友人と共に徳島SVまで応援に駆けつけようと思う。


■■■ 第七回 ■■■

「ハワイに行ってきます。一番長い日になりそうです。」

8月19日

 今日(8月19日)は、午前中に亀阜小学校で行われる市の震災対策総合訓練に参加した後、午後、高松空港から飛び立ち、羽田空港を経由して成田空港からハワイへ向かうことになっている。

 全国市長会の用務でホノルル市で行われる日米市長交流会議に参加するためである。

 私にとっては、高校2年の夏にアメリカ西海岸へ行った帰りに立ち寄って以来の丁度31年ぶりとなるハワイである。公務出張で、3泊5日のタイトな日程とはいえ、大いに楽しみなのである。

 それにしても今日は、私のこれまでの人生の中で一番長い一日となりそう。
 というのは、ハワイは日付変更線のすぐ東側。18時40分に成田を出発して7時間5分の飛行をしてもホノルル空港に着くのが、やはり今日(19日)の朝の6時45分なのである。それから夜の12時まで、17時間15分ある。結果、私は2007年8月19日を、43時間過ごすことになるのである。
 ちょっと気が遠くなる感じだが、とにかく元気で行ってきます。


■■■ 第六回 ■■■

「オッペン化粧品の看板」

8月1日

 大島青松園の夏祭りにいってきた。今日のところは、中途半端な報告しかならないため、高松散歩に軽く記しておくこととしたい。
 夕方に庵治港から大島に渡り、青松園の夏祭りに参加、墓標の松の下で夕日を眺め、阿波踊りなどを鑑賞しながら、気分よく、ビールを飲んで、帰ってきた。

 水上タクシーなるものに初めて乗せてもらって、夜の高松港にこれも20年以上ぶりに帰還した。(写真)

風景が変わっているのは当たり前だが、ついつい、「オッペン化粧品」の青地のネオンに白の看板を探してしまった。でも、もちろん、どこにも無し。


 そんなこんなで嬉し寂しや夏の一夜であった。
 (40歳以上の四国出身の人には分かってもらえると思うのだが。)


■■■ 第五回 ■■■

「ミツバチのささやき」

7月16日

 タイトルは映画の題名であるが、話は、サウナ風呂のことである。
 サウナ風呂は、最初の赴任地である仙台で残業帰り(といってもほとんど午前様で朝まで泊まっていたが)に行き出してから、ずっと何らかの形で今日まで通っている。
 霞ヶ関に勤務している時には、仕事がピークになり朝方まで掛かったときは、朝6時まで貫徹で仕事をして、6時に開く有楽町サウナに行って汗を流して風呂に入り、休憩室で仮眠を取って9時過ぎにまた出勤するというめちゃな日常を何度か繰り返していたこともある。
 まあ、若い頃だからできた話ではあるが。
 札幌にいた30代半ばの時に、健康増進と気分転換、ダイエットなどを兼ねてスポーツジムに通いだしてからは、そこでトレーニングの後にジムのサウナ風呂に入るというのが基本になった。その後の東京でも、島根でもそうしていた。 


 そして、高松に帰ってからも、特に市長就任後は、スポーツジムで1,000メートル前後を泳いだ後のサウナ風呂は、私の一週間のうちで最もリラックスできて開放感に浸れる憩いのひと時となっている。

 今日も、29日の大的場の遠泳大会出場のためのトレーニングも兼ねて、1,200メートルを泳いだ後、サウナ風呂ですっきりと汗を流してきた。
 その時に熱気でぼおっとした頭に浮かんできた記憶が、この『ミツバチのささやき』という映画のタイトルと、今は亡き映画評論家の淀川長治さんである。

 淀川さんは、生涯独身であったため、帝国ホテルを自宅代わりにされていたようで、有楽町サウナにもちょくちょく来ていたようである。
 私がお会いしたのは、二度ほどだが、淀川長治さんと一緒にサウナに入っていたことと、さらにあの狭いサウナ室の中で交わされていた
「淀川先生、最近、面白い映画がないですよね。」
「そうですね〜。でも、やっと日本でも公開された今やっている『ミツバチのささやき』はなかなかいいですよ。」
という会話は忘れがたい思い出。
 次の休日にすぐ銀座の名画座でやっていたその映画を見に行ったのは言うまでもない。でも、寝不足が続いていたため、不覚にも途中で熟睡してしまい、ストーリー等はほとんど覚えていない。但し、主役のアナ・トレントの純粋で大きく奥深い目に見つめられていたのだけは私の記憶の中でも再生可能だ。

 せっかく思い出したのだから、とDVDを注文しようとしたら、今は販売しておらず、入手困難とのこと。残念。

 高松市内のスポーツジムのサウナ室の中で、なぜかふっと浮かび上がってきた 1985年、26歳ごろの記憶であった。


■■■ 第四回 ■■■

「港町、ブルースでもないしなぁ・・・T−CITY、ってどうよ」

7月15日

 休日の時間の合間に高松市という都市のイメージ、愛称のようなものについてあれこれ考えてみた。

 私がマニフェストに示したのは「
真の田園都市」。
 でもこれは、故大平総理の受け売りだし、概念性が強い。一般的には使えない。

 以前は「瀬戸の都・高松」という愛称で親しまれていた。というか、現在でも呼称、愛称らしきもので使っているのはそれである。
 また、多くの人が、高松は、立派な港町である、ということも言う。港町というと私が連想するのは森進一の「港町ブルース」。 

 イメージじゃないよなぁ、と思ってどんな都市が出てきているか改めて歌詞を確認したところ、何と、4番に「高知、高松、八幡浜」とあった。
 失念していた。やっぱり、高松は「港町」として世間に認知されていたんだ、と再認識。

 でも、合併して南は徳島県境の山の中まで高松市になった。「港町」だけではなかなかくくれない。

 「T−CITY」って、どうかな、とも思ってみる。
 CD「まちうた SKETCHI OF T-CITY」で目にして、中の2曲目「風の通り道」で耳にして、結構気に入っている。
 それに、こじつけに近いけど、高松市の都市開発の機軸は、北の東西に伸びるウォーターフロントと中心部から南北に伸びる中央通であり、形にすると「T」の字になっているから丁度いい。同じ「T」がついても、徳島市ではこうはいかない(はず)。

 公式愛称となると、なかなかハードルが高そうだが、非公式な愛称ででもどうだろうか。

 「瀬戸の都 T−CITY」って続けて用いてもいいしね。


■■■ 第三回 ■■■

「セレンディピティ」

7月7日

 今日は、’07年7月7日スリー7だ。
 パチンコ好きの人はもちろん、そうでない人も何かラッキー・チャンスを期待したくなる。

 ところで、ラッキーという言葉に関連して、というわけでもないのだが、最近、茂木健一郎氏の本に出てくる「セレンディピティ」という言葉が妙に頭に引っかかっている。

 日本語に訳すると「思わぬ幸運に偶然出会う能力」、あるいは「偶然による思わぬ幸運との出会いそのもの」ということだそうだ。
 「偶然出会う」のに「能力」が関係あるのかという疑問がすぐ湧いた。

 しかし、氏によれば、「科学史上に残る発見」でもほとんどが「セレンディピティ」と呼べるような偶然がある」とのこと。
 そしてそのような幸運と出会うためには、普段からの心がけ(行動、気づき、観察、受容、理解、実現)が大事だと説く。

 「感情も、ひらめきも、セレンディピティも、そして素敵な恋人との出会いも、すべて人生が思い通りにいかないからこそ、つまりは不確実性に満ちているからこそ、あり得る。」
 「人生という遇有性の海に思い切って飛び込んでこそ、初めてセレンディピティにも出会うことができ、また自分の脳の中に潜んでいる豊かな感情のダイナミズムを生かすこともできる。」
ということだそう。

 パチンコでも、麻雀でも勝った人はよく「運も実力のうち!」と胸を張るけど、あれも「セレンディピティ」ということだろうか


■■■ 第二回 ■■■

「るいままとまちかど漫遊帖」

7月7日

 先日、訪ねてきてくれて、CDまでいただいたのにご紹介が遅れて申し訳ない。

 るいままさんが、「今年も『まちかど漫遊帖』をやるので、市長もぜひ参加して欲しい!」、とプロデューサーの崎洋之さんらとともに、市長室に来られました。

 「高松松平藩 まちかど漫遊帖  そぞろ高松ごゆるり参ろう2007」・・・「高松散歩」の神髄がここにあります??

 るいままは、存在するだけで、周囲をぱっと明るくする。テンションもキーも高いその声が出たらなおさらです。
 しかも、こう見えて(?失礼)れっきとした菊池寛賞を受賞した作家さんでもあります。
 高松にも元気いっぱいの女性がいっぱいいて頼もしい限り。
 CDの歌も、「これまた元気いっぱいでよろしい」と思っていたら、最後の9曲目、ボーナストラックのるいままの語りで泣かされました。
 「まちうた」とは全く違った趣で、高松の街を元気付けるCDですね。

 まちかど漫遊帖、今年も是非成功させましょう

 (るいままと私のツーショットはるいまま組のホームページから失敬しました。あしからずお許しを)


■■■ 第一回 ■■■

「ゲルギエフはやはり凄い」

6月30日

 先週たまたまBSで’95年にゲルギエフがマリインスキー劇場管弦楽団率いて来日した時のチャイコフスキーの「悲愴」をやっていたのを見て、ぶっ飛び、すぐにインターネットでゲルギエフ(ウィーンフィル)のチャイコフスキー5番と6番(悲愴)を注文。

 最近、そればかりを聴いている。

 演奏は、ゲルギエフらしく重くて脂っこいのだが、曲がチャイコフスキーということもあって不思議と疲れが残らない。圧倒的な集中力と息をつかせずたたみ込む怒涛の勢いに引き込まれてコーダの後は、オーディオ装置に向かって思わず拍手をしてしまいそうになる。

 まあ、そのうちには食傷気味になって、CDラックの奥に鎮座ましますようになるとは思うのだが、ここしばらくは楽しませてもらいましょう。


■■■ 高松散歩バックナンバー ■■■