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信玄は薔薇が好きだった

今日、ある本を読んでいたらあの武田信玄が薔薇を愛した風流人だったことを知り、びっくりしました。とても教科書等で見たあの風貌からは想像が出来ません。

更に信玄は詩人でもあり、薔薇を題材に漢詩も幾つかしたためている、というから二度びっくりです。

但し、信玄の風流さもどこか禅宗からくる堅さがとれず、伊達政宗の風流さには及ばない、ともありました。
さすが伊達男、粋人の独眼流ですね。

信玄の「薔薇」と題された漢詩は以下のとおりです。

薔薇   武田信玄

満院薔薇香露新

雨余紅色別留春

風流謝伝今猶在

花似東山縹渺人

世界遺産:白川郷

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雪にすっぽり覆われた世界遺産:白川郷をテレビで見ました。今年はいつもより雪が多く、合掌造りの家々も白いベールを深々とかぶっています。

白川郷を訪ねたのは岐阜県にいた平成3年の正月でした。ブルーノ・タウトが「極めて論理的、合理的で日 本には珍しい庶民の建築である」といい、「これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ」と「日本美の再発見」とい う本で世界に紹介したものです。

 懐かしさとともに、あの時感じた何ともいえないような神々しく荘厳な気分がよみがえってきます。合掌造り集落は、他の地域にはない独特のものですが、なぜか日本人の魂のふるさとのように感じます。不思議なことです。

書はダンスに似ている

先日、国立博物館で開かれている書の至宝ー日本と中国展:http://www.asahi.com/sho/に行ってきました。休日は相当な混雑が予想されるため、平日の午後に休みを取って。ちょっと後ろめたさもありましたが、展示品を目にした途端、そんな感情は鉛筆の削りカスほどに吹っ飛びました。

特に、本邦初公開となる王義之の拓本など、中国上海博物館から持ってきたものは、おいそれとは目にできないものばかりで、展示品の前でしばし立ち止まり息を飲む事の繰り返し。私の好きな黄庭堅や米ふつの大作もあり、嬉しさに顔もほころびっぱなし。

でも、私の最もお気に入りとなったのは、盛唐の書家懐素唯一の真跡と言われる「苦筍帖」。http://www.asahi.com/sho/gallery/g04.html

一筆箋のようなもの(絹)に書かれた「めずらしく佳い筍と茶があるから、すぐにでも来られたし」というわずか2行の書簡ですが、その素朴さがまた良いのです。図録には「筆法は精妙で奇抜さの中に端正さを潜ませ」、また、「書風は気宇壮大で、力強さの中に美しさを備えている」との評あり。う~ん、この通りだけどもこの表現自体も結構すごい。

紹介されていた懐素の人となりにも惹かれるところがあります。同時代の張旭とともに酒を好み酔っては絶叫しながら変化に富んだ狂草(自由奔放な草書)を書いたとされています。

その他展示されていた狂草の作品の多くに特に大きく心を揺るがされました。それらを見ているとまるで、マチスの「ダンス」を見ているような気分になります。漢字が手を組んで踊っている感じ(ゴメン)。

そういえば、「書はダンスに似ている」ということを誰かが書いていました。確か、やり直しのきかない即興性が同じという事でした。狂草の名品を見ているとそれ以上に、字や書そのものがダンスを踊っているように思え、こちらもうきうきした気分になります。新しい発見でした。

寒空の中でしたが、墨の芸術のフルコースで心が満腹し、身体が温まった一日でした。

「東京タワー」と「三丁目の夕日」と「男たちの大和」

「東京タワー」と「ALWAYS 三丁目の夕日」と「男たちの大和」 、昭和という時代とともに母、家族を考え、純粋に涙したこの週末でした。

正月に買ったリリー・フランキーという得体の知れない作家の「東京タワー」という私小説を一週間前から読み始め、金曜日に読了しました。随所にメタファーが効いた小粋な文章から本来似つかわしくない熱い人情があふれ出していて、「参った」という感じです。

そして、金曜の仕事の帰りに「三丁目の夕日」を有楽町スバル座で見て、ノスタルジーに浸り、しかし、郷愁だけではない明日への希望を含んだ涙を流しました。その日の日記には「明日から素直に生きていこうと思えた。」と記しています。

そして今日の夕方、一人で「男たちの大和」を見ました。始まって5分もたたないうちから涙が出てきました。映画の流れは史実に忠実に映画化されていることもあり、筋書きがほとんど分かるだけに、ここぞというところでは思いが自動的に込み上げてきて必ず泣いてしまうのです。何度かは落涙だけでなく嗚咽をこらえるが大変な場面もありました。鑑賞して良かったとは思いますが、重い映画でした。それでも戦後60年たって、やっと大和にも希望があったのだと正面から振り返ることが出来たのは大和にとっても日本にとっても良かったのだと思いました。

涙をいっぱい流しながらも、そのことにより心身共にリセットすることが出来、自分自身でも幾分かの明るい希望が持てた気もします。

「書」とDNA

一年半ほど前から「書」に親しんでいます。この「書」というものがくせものです。「書道」をしている、というとちょっと違和感があります。道を究めるようなストイックな気分でやるものではありません。

かといって最近の小学校の授業のように「書写」をしています、というとこれでは全く浅薄に聞こえてしまいます。「書写」というと極端に言えば、白いことだけがとりえで趣のないぺらぺらの機械漉きの半紙に、プラスチックで作られた硯にたらした油臭い墨汁を塗るたくっている醜悪な工作場面を想像してしまいます。

それでは「書」の良さなど全く伝わりません。逆に子供たちが書に拒否反応を示すようになり、日本から「書」が衰退してしまうのではないかとの危惧の念さえ抱いてしまいます。

「縦に書け!」などの著作で過激なまでの言葉により日本社会の行方に警鐘を発する書家・石川九楊氏も同様の指摘をしておられます。氏によると、「書は文学」であり、「書は筆触の芸術」である、とのことです。私の「書」に対する感覚も同氏に近いところがあります。

不思議なことに書がうまくなるにつれて自分で書いた「書」を人に見せることがとても恥ずかしくなってきます。裸を見られるような羞恥がでてくるのです。

ですが、「書」を書いている時の自己満足度はとても高いものがあります。自分で満足の行く良い清書が出来たときなどは、千メートルを泳いでプールから上がった時に似た清涼感と充実感が心の中にあふれてくるのです。カタルシスを感じるといっても過言ではありません。

これまで、どちらかというと字が汚いことにコンプレックスを持っていたはずの私が、「書」に対してここまで夢中になれるのは自分自身でも大きな驚きでした。食わず嫌いだったのでしょう。母方の祖父(戦前に夭折)は墨絵画家だったといいますが、やはりこれも血ということなのでしょうか。そうなるとDNAは恐るべし、ですね。

一年の計は元旦にあり

「一年の計は元旦にあり」、とはいってもこの変化の激しい時代。1年も先の事を誰が見通せるでしょうか。昨年の元旦に、今の小泉政権のあり様や株価の急上昇をある程度でも予測できた人がいたでしょうか。

しかも、今年は戌年です。ドッグイヤーなのです。お犬様は一年で人間の4倍も5倍も成長するといいます。それだけドッグイヤーとは変化のスピードが速く、内容が濃くなることをいうのです。

私自身の一年後の姿だって自分でも予測できっこありません。計はなかなか立てられません。じゃあ、どうするか。せめて「一年の志」だけはこの元旦のさわやかな日の光を浴びながらを立てておこうと思っています。

徳川将軍家15代のカルテ

篠田達明氏の「徳川将軍家15代のカルテ」を読みました。
家康から慶喜まで徳川将軍の出生から死亡までそれぞれの養生法(当時はまだ健康という言葉はなかった)や病歴を中心に医者の目からみての素顔を分析したもので、なかなか興味深い本でした。

15人それぞれが個性的な人生を送っていますが、氏の分析によると、何といっても養生の面で家康は別格で、とにかく自らの生を長く保って徳川家支配の基盤を磐石にするという強烈な目的意識を持っていたということです。
大正時代まで生き77歳でなくなった慶喜に次ぐ75歳まで長生きし、19人の側室に19人の子女をもうけたそうです。若い頃からの「鳴くまで待とう」の鍛錬の賜物なのでしょうか。

もう一つ興味深かったこと。
9代家重と13代家定は今で言う障害者であったようです。
将軍家の長子相続の掟の下とはいえ、彼らを差別することなく将軍として受け入れていたことは、江戸時代における日本社会の特筆すべき寛容な一面を見た思いがしました。

コンチェルト・ハウス

ベルリン滞在中の8月26日に旧東ドイツ側にある伝統的な(古めかしい)佇まいを見せるコンチェルト・ハウスでシュレスヴィッグ・ホルシュタイン・フェスティバル・オーケストラという、州のオケに世界中から集まった若手演奏家が混じったオケを佐渡裕が指揮をするコンサートに行ってきました。
演奏曲目は①海の思い出:細川俊夫②セレモニアル:武満徹③アルプス交響曲:R・シュトラウスというもの。②では笙で宮田まゆみが客演。

いわばベルリンにおけるPMFオーケストラの演奏会というところでしょうか。若い演奏者が多い分荒削りですが、佐渡裕がそれなりにまとめていて、心が温かくなるような音楽が奏でられていました。

宮田まゆみが笙の音を一音出した瞬間は、頭の天辺を真新しい糸がすっと抜けていた感じがしてちょっと身震いしました。
日本人として誇らしく思えた瞬間でした。

周りはほとんどが中高年のドイツ人。聴衆は本当に素直に目の前に展開されている音楽を愛でて楽しんでいました。そしてそれがこちらにもよく伝わってくるのです。

世界中からやってきた有能な若手の音楽演奏家を暖かく励ますように見守っている感じで、ホール内の床、天井、椅子などの古典的な造りによりかもし出される雰囲気とともに、音楽の聴き方にも歴史と伝統が感じられました。
老若男女がうまく交じり合った馥郁たる文化の香りを味わった夜となりました。

空海の「冬」

 先日、終盤に来て異常な混み様を見せている愛・地球博に行って、日本館を見てきました。

全体のテーマが地球環境問題ですので主催国の展示としては仕方がないのかも分かりませんが、あまりに真面目で遊びがなさ過ぎる感じがしました。
360度の映像もそれなりに迫力はあったのですが、韓国館の若々しいバイタリティーと鮮烈さを感じさせるアニメや、カナダ館の大人の洒落たセンスを感じさせる映像展開と比べると、あまりに日本の個性が見えなさ過ぎました。

そんな中、私にとって一番印象深かったのが「春」・「夏」・「秋」・「冬」の字を日本の歴史的に著名な書道家が書いたものを拡大展示したものです。
中でも空海の「冬」は圧倒的存在感がありました。
司馬遼太郎氏が「零の無限大そのもの」と言った弘法大師・空海の深遠さが伺えるような書(字)でした。

無事帰国

 先週金曜日に予定通りヨーロッパから無事帰国。大きなトラブルもなく、充実した出張となりました。

土日にジムで運動して時差ぼけを解消し、張り切って月曜から仕事を、思っていましたが、まだ何となく体がだるい。海外視察報告ももう少したってからとなりそうです。