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隷書の魅力

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 最近、といってもここ一ヶ月ぐらいですが、書道の中で隷書という字体の書が非常に気になっています。立て続けに隷書に関する本も三冊買ってしまいました。

 よく街中で料理屋の看板などで太く平べったく大きなひげのような払いを強調した文字を見かけますが、あれがこの「隷書」というものです。けったいなデザインでおちょくっているのかな、と思ったこともありますが、それもちゃんとした由緒正しき隷書のスタイルのようです。

 隷書というのは、まだ楷書が出来る前の今から2000年も前の中国の漢の時代に篆書の簡略化から生まれた文字のスタイルだそうです。隷書という名前の由来については諸説あるようですが、主なものは①徒隷(下僕)出身のものが作ったものだから、②隷人(下級役人)でも使える文字だから、③正式な文字であった篆書に隷属するものだから、というものです。いずれにしてもあまり良い由来の名前ではありませんが、その平べったい独特な字体は何とも言えない味があります。

 写真は私が初めて書いてみた隷書ですが、すぐにこの書体が好きになりました。特に装飾的な払い出しを強調するあたりは書いているだけで楽しくなります。

 隷書といってもいろいろな形、表情を持つものがあるようですので、これから少しづつ習っていって自分の個性がでた隷書の作品をいつか仕上げてみたいと思っています。

書はダンスに似ている

先日、国立博物館で開かれている書の至宝ー日本と中国展:http://www.asahi.com/sho/に行ってきました。休日は相当な混雑が予想されるため、平日の午後に休みを取って。ちょっと後ろめたさもありましたが、展示品を目にした途端、そんな感情は鉛筆の削りカスほどに吹っ飛びました。

特に、本邦初公開となる王義之の拓本など、中国上海博物館から持ってきたものは、おいそれとは目にできないものばかりで、展示品の前でしばし立ち止まり息を飲む事の繰り返し。私の好きな黄庭堅や米ふつの大作もあり、嬉しさに顔もほころびっぱなし。

でも、私の最もお気に入りとなったのは、盛唐の書家懐素唯一の真跡と言われる「苦筍帖」。http://www.asahi.com/sho/gallery/g04.html

一筆箋のようなもの(絹)に書かれた「めずらしく佳い筍と茶があるから、すぐにでも来られたし」というわずか2行の書簡ですが、その素朴さがまた良いのです。図録には「筆法は精妙で奇抜さの中に端正さを潜ませ」、また、「書風は気宇壮大で、力強さの中に美しさを備えている」との評あり。う~ん、この通りだけどもこの表現自体も結構すごい。

紹介されていた懐素の人となりにも惹かれるところがあります。同時代の張旭とともに酒を好み酔っては絶叫しながら変化に富んだ狂草(自由奔放な草書)を書いたとされています。

その他展示されていた狂草の作品の多くに特に大きく心を揺るがされました。それらを見ているとまるで、マチスの「ダンス」を見ているような気分になります。漢字が手を組んで踊っている感じ(ゴメン)。

そういえば、「書はダンスに似ている」ということを誰かが書いていました。確か、やり直しのきかない即興性が同じという事でした。狂草の名品を見ているとそれ以上に、字や書そのものがダンスを踊っているように思え、こちらもうきうきした気分になります。新しい発見でした。

寒空の中でしたが、墨の芸術のフルコースで心が満腹し、身体が温まった一日でした。

「書」とDNA

一年半ほど前から「書」に親しんでいます。この「書」というものがくせものです。「書道」をしている、というとちょっと違和感があります。道を究めるようなストイックな気分でやるものではありません。

かといって最近の小学校の授業のように「書写」をしています、というとこれでは全く浅薄に聞こえてしまいます。「書写」というと極端に言えば、白いことだけがとりえで趣のないぺらぺらの機械漉きの半紙に、プラスチックで作られた硯にたらした油臭い墨汁を塗るたくっている醜悪な工作場面を想像してしまいます。

それでは「書」の良さなど全く伝わりません。逆に子供たちが書に拒否反応を示すようになり、日本から「書」が衰退してしまうのではないかとの危惧の念さえ抱いてしまいます。

「縦に書け!」などの著作で過激なまでの言葉により日本社会の行方に警鐘を発する書家・石川九楊氏も同様の指摘をしておられます。氏によると、「書は文学」であり、「書は筆触の芸術」である、とのことです。私の「書」に対する感覚も同氏に近いところがあります。

不思議なことに書がうまくなるにつれて自分で書いた「書」を人に見せることがとても恥ずかしくなってきます。裸を見られるような羞恥がでてくるのです。

ですが、「書」を書いている時の自己満足度はとても高いものがあります。自分で満足の行く良い清書が出来たときなどは、千メートルを泳いでプールから上がった時に似た清涼感と充実感が心の中にあふれてくるのです。カタルシスを感じるといっても過言ではありません。

これまで、どちらかというと字が汚いことにコンプレックスを持っていたはずの私が、「書」に対してここまで夢中になれるのは自分自身でも大きな驚きでした。食わず嫌いだったのでしょう。母方の祖父(戦前に夭折)は墨絵画家だったといいますが、やはりこれも血ということなのでしょうか。そうなるとDNAは恐るべし、ですね。

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