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いよ!成田屋! こんぴら歌舞伎大芝居(座頭:市川海老蔵)

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 ついに念願かなったり。
 江戸時代の芝居小屋をほぼそのままに保存、復元した琴平町の金丸座で毎春開催され、歌舞伎ファンを中心に全国の注目を浴びているこんぴら歌舞伎大芝居http://www.town.kotohira.kagawa.jp/kabuki/に初めて行って来ました。
 前々から、是非行きたいとは思っていたのですが、香川から離れて暮らしていて、時期を合わせて帰郷できなかったり、また、非常に人気が高く、チケットはなかなか手に入らない、という噂を聞いて半分あきらめてもいた部分もありました。

 今回、30年ぶりに帰郷して高松に腰を落ち着け、余裕を持って日程調整をしてチケットを得ることができ、やっと永年の念願がかないました。
 しかも、今年は、瀬戸大橋開通20周年記念行事としての性格も併せていて、女性ファンを中心に現在絶大な人気を誇る11代目市川海老蔵を座頭とする公演で、役者も若手を中心とした豪華俳優の競演http://www.town.kotohira.kagawa.jp/kabuki/24kabuki/profile.htmlとなりました。

 海老蔵を直接見ることができる、と若干興奮気味の妻と二人で胸をときめかしながら琴平に行ってきました。
 お昼前に家をでて、有名うどん店で昼飯をと思い、最初綾川町の「山越」に行きましたが、駐車場から満杯で、行列も半端じゃない長蛇の列。これは、一時間以上かかるとあきらめ、琴平の「宮武」へ。20分ほど待って、中に入り、「ひやあつ」のかけの大盛りに天ぷらを2品付き。混んでいた所為か、前に食べたときより麺が少し固めに過ぎましたが、それでもなかなかのもの。妻と二人、満足の足取りでいよいよ金比羅さんへ。
 開演前に時間があったので、金比羅さんに参拝しがてら、昨年、資生堂パーラーが本殿のすぐ下に出店し、街の噂となっている「神椿http://www.kamitsubaki.com/」という喫茶・レストランでお茶を飲んで一休み。
 名残の桜に新緑が芽吹こうとしている自然の山麓風景と現代アート調の喫茶室のデザイン、雰囲気がうまくマッチしていて、短時間の滞在でしたが、気持ちの良い、清涼な季節感を味わうことができました。
 
 そして、いよいよ本番の歌舞伎鑑賞。
 私たちが見たのは、午後の部で、出し物は、「夏祭浪花鑑(三幕)」と「供奴」。熱心な歌舞伎ファン、海老蔵ファンが県外からも多数来ていたようで、始まる前から、金丸座は、外も中も一種異様とも言える雰囲気で盛り上がっていました。
 満員の客席は、市川海老蔵を始めとした役者が登場し、声を出し、見得を切るのに合わせて、溜め息、歓声、拍手、笑いなどが交錯します。皆、熱演だったと思いますが、海老蔵の芝居は、さすがに存在感が別格で、いわゆる「艶」や「花」がありました。見せ所も多く、魅力たっぷりの舞台で、素人目にも十分に楽しませてくれた。
 江戸時代そのままの、小さな芝居小屋ならではなんでしょうが、これだけ、舞台と客席が一体となった雰囲気は、現代の劇場やホールでは、決して味わえないものでしょう。声や楽器の音や効果音も良く響いて、音響効果も素晴らしく、まさに、生の雰囲気が味わえます。空気が響いているのが肌で感じるような感じで、客も自然と物語の中に引き込まれていき、五感を揺さぶられて感動を味わえるのです。
 金丸座という芝居小屋が残っていて復元されたからこそ、香川の地でこれだけの歌舞伎の舞台が堪能することができるのであり、本当に有難いことだと思います。

 ちなみに、「夏祭浪花鑑」は、主人公が義理が絡んだ諍いから舅(義理の父親)を殺してしまうと言う話ですが、「父殺し」というテーマは、最近読んだり、見たりしたものだけでも、[カラマーゾフの兄弟」、「海辺のカフカ」、「オイディプス王」とあり、古今東西を問わず、人間の生き様を描写する文学、物語の主要テーマである事件なんだ、と頭の中でシナプスが「アハッ」とばかりにつながりました。

 私が言うまでもなく、金丸座というハードと一体となったこんぴら歌舞伎大芝居は、観光資源として超一級品だと思います。
 その琴平と高松は、「コトデン琴平線」という一本の路線の起点、終点として直結しています。高松市の観光にも、この金比羅さんやこんぴら歌舞伎との連携を今以上に生かせることはできないものか、と考えています。でも、オフの時間を楽しむつもりがついつい仕事モードも入ってしまうのは悲しい性ではありますね。
 

高松市長選挙のご報告(選挙戦(一日)を振り返って)

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私の選挙は、告示日の4月15日(日)、一日で終わりました。
朝、7時から石清尾八幡宮に必勝祈願をした後、事務所に戻り、8時半から出陣式。
それと同時に立候補の届出を行い、9時からの出陣式に臨みました。

10時前に遊説カーに乗り込み、とにかく一日で可能な限り市内全域を駆け巡ることを目標に選挙戦のスタート。
休日でまだ閑散としている「まちなか」を駆け抜け、屋島から、牟礼、庵治へ。牟礼町でははじめての「街頭演説」も体験しました。
街宣車を颯爽と降りて、聴衆の拍手に迎えられながら、屋外で台の上に立って演説するというのは、通常の会合での演説とは一味も二味も違って、不思議な力が湧いてきて思わず言葉に力が入ってしまいます。
最初は緊張しましたが、一声ですぐに解消。
いつもより自然に言葉が口をついて出る感覚がありました。
街頭演説は、午後にも国分寺でやりました。都合2回。
本音から言えばもう少しやりたかったところです。
庵治の半島をぐるりと回り、前田から西植田方面から仏生山を回って午後2時過ぎに一旦事務所に戻り、ウグイス嬢の交代と昼食タイムです。
(多分)一日しかない、というあせりもあり、わずか10分でうどんを掻き込み、お茶を飲んで休む間もなく出発。
ずっとニコニコしていたのか、出て行くときには「何だか嬉しそう」と妻に囃されました。
午後も香川町から塩江の道の駅までしっかり入ってから香南、国分寺、鬼無、香西を回りました。
そして再び、「まちなか」へ。
心なしか、午前中よりも手を振ってくれる人の数が多い気がしました。
それが、街宣活動をすればするほど、「大西ひでと」が浸透したようにも思えて、嬉しいものでした。
これを手ごたえって言うんでしょうね。自分も窓から身を乗り出すように所謂「箱乗り」をして手を振って返していました。それが自然にできるようになっている自分が不思議に思えました。
こういう時は、応援してくれたすべての人の声に答えたい、といった気持ちになりますね。
やはり、こういう感覚があるからこそ、無投票よりは、選挙をしっかりしたほうがいい、といわれるのでしょうか。

五時の締め切りの時点で私以外に立候補者がなく、そこで当選確定。選挙運動もストップしなければなりません。
その連絡が携帯電話で「まちなか」を流していた街宣車に入り、車中で運転手さん、ウグイス嬢の皆さんと固い握手を交わし、最初のお祝いをしました。

そして、五時を十分ほど過ぎて関係者の皆さんが待機してくれていた事務所に帰り、万雷の拍手に迎えられました。

午後6時から当選報告会。万歳、万歳、万歳です。
後は、報道等で見聞きされたことと思います。
とにかく私は、充実感と嬉しさでいっぱいでした。

最初スタッフに確かめておしとやかに万歳をせず、頭を下げていた妻も、報道陣の「奥さんも万歳して!」の注文にのって手を上にして良い笑顔を見せていました。
花束を渡してくれた娘、最後には壇上に上がって万歳をした母、ともども家族の理解と支えに改めて感謝したいと思います。

以上、相当遅くなりましたが、私の選挙当日の顛末記として、報告させていただきます。。

日記の効用

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活動報告にも記しましたが、今日、丸亀町商店街の壱番街にオープンした紀伊国屋書店で日記帳を求めました。
高橋書店発行の「当用新日記2007」(写真右端)です。別称「高橋の日記NO.1の2007年版」。
3年前に始めるまでは、20代の頃のほんの一時期(しかも不定期)を除いて日記はほとんど書いたことはなく、その効用というものもよくわかっていませんでした。
周りの人の中には、中学生の頃から、とか社会人になってからずっとという人もいましたが、生来の不精癖か、毎日日記を付けるなんてことは自分にはできないものと思っていました。
それが、どうしたことか三年前のちょうど今頃、ふと立ち寄った書店で見つけたこの日記帳を手に取り、2004年元旦から書き始めるとそれが今日まで続いています。
日記を書き始めて4日目に父が他界したこともあり、初っ端のところで心を入れ替えられたのかも知れません。

2004年の1月1日の日記を見てみると、
「今年持っていたい境地・・・
 釣鐘にとまりて眠る胡蝶哉  蕪村」と記してありました。
ちょっと気取っていますね。

日記を毎日書くということは、その日その日にあったことを頭の中でおさらいするという行為を伴います。また、手書きすることで日本語の言葉や漢字がちゃんと思い出せて書けるかどうか復習できます。それだけで、今流行の脳トレと同等以上のボケ防止効果があるように思います。
また、毎日寝る前とか、朝起きてからとか、決まった時間に日記を書く習慣をつけることで、生活が規則正しくなり、生活にリズムができます。そうなると健康にもいいはずです。

さらに、私の使っている日記帳は、暦や月齢に加えて、日々のページの側に俳句か短歌、脚下に雑学豆知識(大方はトリビアの泉に出てもへぇ~は少ないと思われるもの)が記されています。これもまた、毎日ちょこっと楽しめるアイテムです。
ちなみに2007年の元旦のページには、
側に「元旦や暗き空より風が吹く  青木月斗」の句と
下に「神社の参道の中央は神が人間界との往来に通るので、参詣者は端を歩くのが礼儀とされている。」との有難い注意書き。
気分が清々しくなる感じで、今から正月が楽しみになりました。

イサムノグチと天命と

今日、帰郷してから初めて牟礼町(合併して高松市内です)のイサムノグチ庭園美術館 (http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm)を訪問し、イサムノグチ日本財団の理事長の和泉正敏さんにお会いしてきました。

和泉さんとは、5年前、島根県に勤務していたときに、県立病院内の慰霊碑を和泉さんが造られたことが縁で松江でお会いしてからのお付き合いです。

また、イサムノグチの作品自体は、札幌に暮らしていたときに大通公園のブラック・スライド・マントラと完成前のモエレ沼公園(http://www.welcome.city.sapporo.jp/moerenuma/index.html)で子供たちと一緒に遊ばせてもらって以来の大ファンです。

その彼の試作中のものも含む数々の作品群が故郷香川に、高松市牟礼町に残されていること自体が誇りでしたし、それを大切に守っている和泉さんには常々敬意を持っていました。

久しぶりにお会いした和泉さんは、私が故郷に帰ってきたことを本当に喜んでくれました。

そのような言葉をかけていただくと、私自身「決意を持って故郷に帰って来てよかったなあ。」との感慨もひとしおです。

10年をかけてイサムノグチの遺志を引き継ぎ和泉さんが完成させた札幌市のモエレ沼公園内の時空間もそうですが、この庭園美術館の敷地の中は、そこに佇んでいるだけで心がすうっと洗われるような雰囲気があります。

そうしょっちゅうはお邪魔できないでしょうが、私の貴重な癒しの場所、心の故郷のひとつとなりそうです。

もう一つの話題。

今日お会いしたある企業の社長さんから、「天命ですよ。頑張りなさい。」という言葉をいただきました。

確かに、自分自身でもそう感じている部分はありました。

格好よく言えば前にこのブログで書いた西郷隆盛の漢詩にある(http://www.oi-hideto.com/oi-blog/diary.cgi?no=28

如能識天意   もし能く天意を知らば

豈敢自謀安   あに敢えて自ら安きを謀らんや

の境地に至ったということでしょうか。

簡単なことではないでしょうが、これからも座右の銘である「敬天愛人」の精神を実践していきたいと思います。

「むらたせいさく君」は二宮金次郎だ

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 先週になりますが、3日の午後、CEATEC JAPAN 2006(http://www.ceatec.com/2006/ja/visitor/)に幕張メッセまで行ってきました。
初日から会場は大入り満員。

開催テーマは「デジタルコンバージェンスが変える、社会・生活・ビジネス」。ちょっと???

でもさすがに情報通信技術の粋と最新の製品、材料、ソフトウェア等を一堂に集めた国内最大の展示会だけあって、派手で大きなロゴを掲げた展示ブースがひしめき合っていて賑やかです。

そしてそこここでカラフルで露出度の高いエナメル調の衣装を着けた案内嬢(キャンペーンガール?)がポーズを決めながら各社の製品のデモと売り込みをしていて華やかです。

さらにデジタルネットワークの方の会場では、家電各社が地デジHD放送の本格化を前に大型画面のスーパーハイヴィジョンTVを並べて迫力と画像の質感や美しさを競っていて鮮やかでした。

でも、贅沢を言えば、「今年はこれだ!!」という展示が少なかったのは残念でした。
PLC(電力線通信。コンセントに差し込むだけでインターネットとつながる。)も電波監理審議会で宅内においてのみの容認とされたためか、結構な数はでていたものの、それこそ引き篭り気味のおとなしい展示という印象でした。

もちろん携帯のdocomo対AU、ハイヴィジョンテレビのPANASONIC(プラズマ)対SHARP(液晶)、次世代DVDのSONY(ブルーレイ)対TOSHIBA(HD・DVD)の争いは過熱気味で各ブースともライバルを意識しながら力が入っているのは感じましたよ。
過酷ではありますが、やはり自由な競争が技術をどんどん進化させるのですね。

そんな中、地味ながら人垣ができて人気を集めていたのは自転車を漕ぐロボット「むらたせいさく君」。
細く曲がりくねり勾配のある平均台のような道でもなんのその。左右に揺らぐこともなくゆっくりと真っ直ぐにえんやこらと地道にペダルを漕いで行きます。
小さくて、電池を背負って前かがみでゆっくりと進む姿は、そう、あの「二宮金次郎」が自転車に乗っている姿を彷彿とさせます。

でも、多分それはそれはすごい技術なのでしょうけれど、タイヤが台にぴたっとくっついて揺らぎもせず、動きもゆっくりなため、見ていると何か磁石のような細工があるようにも思えて感動は小さめでした。ごめんなさい。

驚きと感動の面では二足歩行ロボット「アシモ君」の方が数段上でしょう。彼は顔つきも明るい感じで茶目っ気もあるし。
「むらたせいさく君」はちょっとうつむき加減でシャイに見えます。でも、まじめないい子であることは間違いないでしょう。

菅原道真と念仏踊りと讃岐うどん

先日、仕事で綾南町と綾上町が合併してできた綾川町の合併記念式典に出席してきました。

前夜、香川に入り、今朝起きると絶好の秋の行楽日和。さわやかな気分の中で式典は行われました。

綾川町は、文字通り香川県で一番長い綾川の上流部に位置するところでその水を使って古くから米作りや酒造り、それにうどん作りが盛んに行われていました。
讃岐の中でも綾川の水を使ったうどんは特別のようで、町内には今や全国区となったうどん屋(製麺所)のいくつかが存在しています。たむらと山越を筆頭に、国道32号線沿いの道の駅には、「うどん会館」なるものまであります。

そんな綾川町ですが、この地にかの菅原道真公が讃岐の守として4年間も住んでいたことはあまり知られていないのではないでしょうか。

式典のアトラクションでは、その道真公ゆかりの雨乞いの踊りである念仏踊りが披露されました。
これは、道真公が旱魃を憂い、自ら府中の城山(きやま)神社で七日七晩祈願すると満願の日、空がにわかに曇り、三日三晩大雨が降り続いたのに喜び勇んだ農民が滝宮神社の前に集まり、神に感謝して道真公の徳をたたえて踊ったことが始まりとされるものです。
その300年後頃に法然上人が振り付けとお囃子を直して現在の姿になったという、由緒来歴の深いものです。
そして、あら摩訶不思議。朝あんなに晴れ渡っていた空が念仏踊りが始まるころににわかに一転掻き曇り、通り雨が降ったのです。
霊験あらたかとはこのことか、とまで思いました。

菅原道真と法然上人に縁の念仏踊り、それに地酒(綾菊)とうどん(山越)。これだけでも結構な地域資源ではあります。

経緯から言うと周辺町村に取り残されたような形での2町の合併ですが、菅原道真公、法然上人の霊験と旨い酒とうどんを組み合わせながら地域の魅力をどんどん発信して良い町になっていって欲しいものです。

桃の花

 東京では、桜の花が満開。例年より寒く、雪の多かった年なのに桜は幾分早く開花したようですね。

 でも、この季節、私が一番好きなのは桃の花。東京では花屋さんぐらいでしかお目にかかれませんが、私のふるさとの山は一面濃い目のピンクの可憐な花に覆いつくされます。

 今でも覚えている小学校の一年生を迎える唱歌。次のような歌詞です。

 「桃の花がいっぱいに 咲いてる咲いてる丘の道

 みんなで待ってた一年生 今日から学校うれしいな

 おめでとう んちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ(拍手)

 おめでとう んちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ(拍手)

 みんなで仲良く遊ぼうね(?)」

 最後のくだりは怪しいのですが、桃源郷のような里山の景色に歌声が響いて子供心に春を迎える喜びでワクワクしていました。

 私の「3丁目の夕日」の世界です。

一年の計は元旦にあり

「一年の計は元旦にあり」、とはいってもこの変化の激しい時代。1年も先の事を誰が見通せるでしょうか。昨年の元旦に、今の小泉政権のあり様や株価の急上昇をある程度でも予測できた人がいたでしょうか。

しかも、今年は戌年です。ドッグイヤーなのです。お犬様は一年で人間の4倍も5倍も成長するといいます。それだけドッグイヤーとは変化のスピードが速く、内容が濃くなることをいうのです。

私自身の一年後の姿だって自分でも予測できっこありません。計はなかなか立てられません。じゃあ、どうするか。せめて「一年の志」だけはこの元旦のさわやかな日の光を浴びながらを立てておこうと思っています。

しばらく留守にします。

明日(22日)から、9月2日まで仕事でヨーロッパ出張のため、しばらく留守にします。
スウェーデン、ドイツ、スイス、フランスを回りますが、これまで行ったことのない都市もあり、非常に楽しみです。
何か面白そうな話題、体験、感動があったら帰ってきてから何本かアップしてみたいと思っています。

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